プレーバック日刊スポーツ! 過去の1月21日付紙面を振り返ります。2003年の1面(東京版)は、右ひざ、左肩の故障で現役を引退した第65代横綱貴乃花です。

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 第65代横綱貴乃花(30=二子山)が、現役を引退した。大相撲初場所9日目の20日、師匠の二子山親方(52=元大関貴ノ花)に伴われて日本相撲協会に引退届を提出。緊急理事会で一代年寄貴乃花を贈られることも決まった。東京・両国国技館内での会見では「すがすがしい気持ちです」と語り、右ひざ、左肩の故障で引退に追い込まれた無念の心情を包み隠した。歴代4位の幕内優勝22回など数々の記録を打ち立てた約15年間の土俵生活に別れを告げた。今後は部屋付き親方として後進を指導し、「第2、第3の貴乃花」を育成する。

 涙は一切見せなかった。貴乃花は淡々と心境を明かした。「非常にすがすがしい気持ちです。特に悔いはありません」。無言を貫いてきた前日までとはまるで別人。表情も穏やかだった。「今でも相撲を愛しています」。最後には深々と頭を下げた。平成の土俵に君臨し、一時代を築いた横綱の引退会見に約250人の報道陣からは拍手がわき起こった。

 潔く進退に断を下した。前夜、二子山親方が東京・杉並区の自宅を訪れた時は「一晩考えさせてください」と猶予を求めた。しかし、中日に安美錦戦に敗れた直後に覚悟はしていた。気持ちの整理をつけてこの日午前に二子山親方に連絡。親方から北の湖理事長(元横綱)に電話で報告された。協会緊急理事会で3人目の一代年寄貴乃花と過去最高額1億3000万円の特別功労金が満場一致で決まった。

 無念さはみじんも見せなかった。だが、限界を超えて闘っていた。半月板を損傷の右ひざは、完治は望めない。相撲を取ればそれだけ悪化する可能性もあった。さらに今場所2日目、雅山の二丁投げで左肩も負傷した。かしわ手も打てない重傷も、言い訳にはしなかった。引退につながった屈辱的な連敗についても「ひざは手術後一番いい状態。左肩のけががなくても負けていた」と自らの力不足を強調した。

 決して燃え尽きたわけでもない。穏やかな表情の裏に本心がある。約15年の長い相撲人生とはいえ、けがによる30歳での引退。悔いがないはずがない。長男優一君(7)に誓っていた復活優勝を果たしたかった。7場所連続全休後の昨年秋場所、武蔵丸との優勝争いに敗れた。その後、優一君に「必ずまた優勝するからね」と約束しながら、右ひざ悪化で九州場所を全休。部屋の親しい関係者には何度も「もう1度勝ちたい」と本音を漏らした。昨年末には東京・五反田に新居が完成したが、周囲には「現役のまま入居したい」と話していたという。自らの体調を考えれば今場所しかなかった。復活にかける思いが再出場、千秋楽までの出場希望に表れた。だが、最愛の家族との約束を果たすことなく力尽き、力士人生に幕を下ろした。

 それでも、偉大な功績は相撲史にさん然と輝く。最年少記録を次々と塗り替えて頂点に駆け上がり、歴代4位の幕内優勝22回を達成した。それ以上に空前の相撲人気を呼んだ貢献は大きい。兄の3代目若乃花と前代未聞の若貴ブームを巻き起こし、01年夏場所では右ひざと引き替えに優勝を飾り、鬼の形相で日本中を感動させた。

 今後は貴乃花親方として、二子山部屋の再建を目指す。将来は部屋を受け継ぎ、貴乃花部屋を築く。今春には2人の新弟子が入門予定で、第2の貴乃花を育成に取りかかる。6月1日、両国国技館での引退相撲でまげにも別れを告げる。「たくさんの声援が私の支えだった。今後は、その恩返しをしたい」。充実感とともに無念の思いも強い。相撲道を追求してきた貴乃花が、親方として第2の人生をスタートさせる。

※記録と表記は当時のもの