第72代横綱稀勢の里(30=田子ノ浦)が正式に誕生した。日本相撲協会は25日、春場所(3月12日初日、エディオンアリーナ大阪)の番付編成会議と臨時理事会を開き、稀勢の里の横綱昇進を満場一致で承認した。都内の帝国ホテルで行われた伝達式では大関時と同じく、四字熟語は使わずにシンプルな口上を披露。また両親に、現役時代は結婚しない宣言をしていることも明らかになった。ひたすら相撲道に精進する横綱となる。

 やっぱり、稀勢の里は稀勢の里だった。思いを込めた口上は、明快かつシンプル。「横綱の名に恥じぬよう精進致します」。四字熟語など難解な言葉は使わない。大関昇進時の「大関の名を汚さぬよう精進します」と同じく、正攻法な相撲同様の真っ向勝負だった。

 「いい言葉をたくさんいただいているので、その言葉を使おうか、今のまま自分のシンプルな気持ちで伝えようか、悩みました」。選んだのは後者。率直な言葉だけに思いが伝わった。

 部屋のスペースの都合で、伝達式は異例の帝国ホテルで行われた。テレビカメラ12台、150人以上の報道陣が詰めかけた会場。そこで緊張しているのも伝わった。使者を待つ間の表情は硬く、汗もかいていた。母の萩原裕美子さんが「間違わなければいいな」と祈るほど。実際に「横綱の名をは…恥じぬよう」と少しだけ詰まった。「ちょっとかんでしまいました」と恥ずかしそうに笑うのは新横綱の愛嬌(あいきょう)だった。

 伝達式後の会見では、事あるごとに横綱の使命を語った。「横綱は常に人に見られている。稽古場も普段の生き方も。もっと人間的に成長して、尊敬される横綱になっていきたい」「横綱は負けられない。もっと強くなって負けない力士、常に優勝争いに加われる力士になりたい」。そのために、両親には1つの覚悟を宣言していた。結婚封印。

 父貞彦さんは「嫁取り」について「『相撲を取っている間は結婚しない』と宣言している」と明かした。自らの相撲道を貫くには女性は二の次。その意志の表れだった。もっとも、父も「恋愛ですからどう展開するか、こればかりは分かりません。でも、嫁取りは厳しい。私の目を通さないといけませんから。3歩下がって夫の帰りを待つじゃないが、出しゃばらず、ブランド好きでないこと」と、違う角度から後押しした。

 00年春以来、17年ぶりの4横綱時代を迎える。群雄割拠。だから大言壮語はない。ほかの3横綱を上回る点を問われると「体重?」と笑わせつつ「前に出る力は常に言われ、磨き続けて上がってきた。それを信じてやるしかない」。次の目標は「来場所、優勝です」。足元を見失わない。19年ぶりの日本出身横綱は頼もしかった。【今村健人】

 ◆稀勢の里寛(きせのさと・ゆたか)本名・萩原寛。1986年(昭61)7月3日生まれ、茨城県牛久市出身。15歳で鳴戸部屋に入門。得意は突き、押し、左四つ。三賞は殊勲5回、敢闘3回、技能1回。金星3個。通算764勝460敗(不戦敗1)。家族は両親と姉。187センチ、175キロ。