プレーバック日刊スポーツ! 過去の3月29日付紙面を振り返ります。1993年の1面(東京版)は、初優勝を決めた若花田のVパレードでした。

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<大相撲春場所>◇千秋楽◇1993年3月28日◇大阪府立体育会館

 お兄ちゃんが鮮やかにフィナーレを飾った。14日目に初優勝を決めた東小結若花田(22=二子山)は、千秋楽も霧島に快勝。14勝1敗で春の幕を閉じた。大関どりがかかり、シコ名が若ノ花に変わる来場所へ、最高のステップとなった。

 天皇賜杯が、やけに大きく映った。幕内では4番目に軽い115キロの若花田が、ズッシリ重い賜杯を出羽海理事長(元横綱佐田の山)から手渡される。伯父の花田相談役、父である二子山親方、そして弟の貴ノ花が味わった感触を若花田もじっくりと味わった。「重たかった。(表彰式が長くて)腰が痛くなっちゃった」。優勝を決めた前日に、たっぷり流した涙はない。笑顔、笑顔。明るいお兄ちゃんの素顔に戻った。

 表彰式を終え、支度部屋に戻ると、弟が待っていた。言葉は交わさない。かすかに緩んだ口元だけで通じ合う。「おめでとう」。貴ノ花からのテレパシーを感じた若花田の顔が緩んだ。過去2度、弟のVパレードの旗手を務めたが、今度は若花田が、華やかなスポットライトを浴びる番だ。

 春雨が降りしきる中、優勝旗を手にした貴ノ花を従え、オープンカーが滑り出した。「お兄ちゃん、おめでとう」。沿道に詰め掛けたファンの大歓声に包まれる。冷たい雨など、関係なかった。優勝の実感が、喜びが心の底から込み上げてきた。

 数カ所で将棋倒しのアクシデントも起こったほどの熱狂ぶりだった。午後5時から東大阪市小阪駅前で祝いの日本酒も振る舞われ、同駅から二子山部屋まで200メートルのコースに4000人のファンが押し寄せた。小阪メルシィ商店会の小原博久会長は「お兄ちゃんの人気は根強いからね。これで商店街もまた活気づく」と大喜びだった。宿舎で部屋関係者に囲まれての万歳三唱の間、若花田は初めての体験とあって恐縮した面持ちだったが、なみなみと美酒がつがれた大きな銀杯を親方と貴ノ花に支えられながら口にすると、ようやく表情が和んだ。

 鮮やかに、「若サマの春」のフィナーレを飾った。霧島を電車道で白房下へ押し出す快勝で締めくくる。積み重ねた白星は14個。「非常に良かったと思います」。来場所は大関どりがかかる。シコ名も「若ノ花」に変わる。慣れ親しんできた「若花田」に、笑顔で別れを告げた。

 春場所前に発足した「若花田・貴ノ花関西後援会」会長のサントリー・佐治敬三会長(73)も多忙の合間を縫って、激励に駆けつけた。「こんな幸せなことはない。本当によくやってくれました」。発足直後の二人の快進撃に、感無量の思い。「(優勝のご褒美は)慣習に従って考えたい。大関も近いことでしょう」と笑いが止まらない。

 「15日間、長かった」。初優勝、そして殊勲、技能賞を手にして、長い15日間が終わった。そして、新たな挑戦の幕が開く。

 「相談役に似てきたと言われるが、われわれには相談役が大関、横綱のときのイメージがある。今はまだ三役の力、これから近づいていくだろう」という出羽海理事長の言葉を若花田も心得ている。「まだまだこれからです。がむしゃらに相撲を取っていくだけです」。

 “土俵の鬼”とうたわれた名横綱の域に達するには、まだ長い階段が待ち受けている。だが、若花田が大きな第一歩をしるしたのは間違いない。真価を問われる来場所、大関どりにも「何も考えず、無心になることです」。頭上に輝いた栄冠にも、おごりはない。

 「今夜はパーッと騒ぐ? それは内証。個人的なことだからね」。いたずらっぽく笑った若花田。激闘、プレッシャーに痛めつけられた小さな体を休め、まずは英気を養う。そして、「若ノ花」の挑戦が始まる。

※記録と表記は当時のもの