大関照ノ富士(25=伊勢ケ浜)は、15年夏場所以来の賜杯を逃した。手負いの稀勢の里に本割と優勝決定戦で連敗。2度の好機をものにできなかった。

 相手は大きなケガを負っていた。やりづらさについて聞かれると「特になかった。自分の問題です」と言い訳はしなかった。自身4度目のかど番を自己最速の9日目に脱出。力強い相撲が戻り、左膝の故障から復活したように見えた。しかし13日目の鶴竜戦で負傷。それからは稽古も思うようにできず、治療に専念していた。

 流れも悪かった。14日目の琴奨菊戦で変化して勝った影響が残った。観客からは、この日も厳しい声を浴びせられた。連日の異様な雰囲気に「目に見えるつらさと目に見えないつらさがあるんだよね。それを表に出すか出さないかです」とたまっていた気持ちをはき出すように話し「やっと終わった」とつぶやいて支度部屋を後にした。

 15年春場所以来、自己最多タイの13勝を挙げ、優勝次点で幕を閉じた春場所。しかし、審判部などから来場所での綱とりの声は上がらなかった。ここ1年で4度のかど番と、14日目の変化が印象を悪くした。平成生まれ初の横綱への挑戦は、一からのスタートとなった。【佐々木隆史】