大相撲の元横綱佐田の山で、日本相撲協会の7代目理事長を務めた市川晋松(いちかわ・しんまつ)氏が4月27日、肺炎のため東京都内の病院で死去したことが1日、分かった。存命する元横綱では最年長だったが、79歳で天国へ旅立った。

 「国もんと思って話をしたけど、もう君にはしゃべらん」。出羽海親方に、国技館の役員室で怒られたことがある。あるニュースを1面ですっぱ抜いた翌日のことだった。親方とは同じ長崎県出身で、父が五島列島の隣町の出だった。相撲担当になり、あいさつに行くと、親方はわざわざ自宅に招き入れて、夫人に同郷の私を紹介し、田舎の話で盛り上がったものだ。

 そんな親方を怒らせ、部屋への足も遠のきかけたときに、新入幕で勝ち越したばかりの幕内龍興山が亡くなった。22歳。90年2月2日のことだった。巨漢で愛嬌(あいきょう)のある龍興山はよく取材もし「早く幕内に上がれ」とハッパもかけていた。悲報に部屋へ駆けつけると、親方とけいこ場で出くわした。お互い涙で顔をくしゃくしゃにしたまま向き合った。「おう、来てくれたのか」。親方はじっと目を見て、うなずいてくれた。

 弟子をかわいがり、記者とも情で接する人だった。龍興山が亡くなった後は心労で何日か寝込んだ。龍興山は、翌春場所に東前頭5枚目で、死亡したまま番付に名前が載った。異例なことだったが、龍興山の地元大阪に、名前だけでも凱旋(がいせん)させてあげたいという親方の思いが通じたのだと思う。口べたで、実直な親方の顔が今でも目に浮かぶ。【桝田朗】