横綱稀勢の里(30=田子ノ浦)が神懸かり的に残して逆転勝ちした。東前頭筆頭の千代の国に押し込まれて半身にさせられたが、右足1本で俵に残すと、相手の引きに乗じて押し出し。絶体絶命の状況から、またも金星を許さなかった。新横綱の春場所から平幕10人を突破。先代師匠の隆の里、旭富士を上回り、昭和以降41人の横綱で千代の山と並ぶ8位タイに浮上した。

 悲鳴が上がる。すぐに大音量の絶叫に変わる。それもそのはず。稀勢の里の体は俵に詰まっていた。右足1本だけで何とかこらえるが、左足が浮く。上体が起きて右を深く差され、左半身にもなった。明らかに絶体絶命だった。だが、横綱だけは違っていた。

 「まだ行ける感覚はありましたね」。右足1本だけで6秒間も耐えた。我慢しきれなかった千代の国が引き、体はつんのめったが構わず前に出た。土俵の端から端まで走って、体が落ちる前に押し出し。15秒8の熱戦に大銀杏(おおいちょう)は乱れ、腹には砂がべっとりと。それでも、過呼吸に近いほど息が乱れた相手と違い、涼しい顔で勝ち名乗りを受けた。「そこ(体力)だけしか自慢はないから」と笑い飛ばした。

 「勢いがある」と認める相手。昨年の秋巡業では連日、稽古で指名した。「思い切り来い」と求めると、全力で食らいついて応えようとする姿に「運動神経がよみがえる。お互いが強くなるための稽古。非常にいい力士」とべた褒めしていた。向かってくればくるほど、うれしがるのが稀勢の里。その勢いが、自らの体に再び火をつけてくれた。

 左上腕付近のけがで全休した春巡業中。連日、部屋の稽古場で下半身をいじめた。四股、すり足、腰割り…。師匠の田子ノ浦親方は「誰もいないときでも、休みのときでも、1人でやっていた」。自己最重量の184キロに増えても、腰は以前よりも低く下りる。以前、幕内最年長の豪風が「俵に足がかかって、そこからでも力を発揮する横綱」と評した土俵際の強さ。加えて鍛えた下半身に、土壇場で力が入った。初、春場所のような「見えない力」でなく、地力でもぎ取った白星だった。

 神懸かり的な相撲で、金星はまたも与えなかった。新横綱場所から、平幕力士との取組は千代の国で10人目。昭和以降、10人と対戦しても与金星がないのは千代の山と並ぶ8位タイ。10人目で与えた先代師匠の隆の里らを上回った。「いい具合でやれている。また明日につながると思います」。帰り際、体力ある姿に「恐るべし30歳」と言われると「まだ若いから」と笑った。苦難の場所で、白星を先行させた。【今村健人】