19日午後4時20分すぎ、元大関若嶋津の二所ノ関親方(60=本名・日高六男)が千葉県船橋市行田2丁目の路上で倒れているのを通行人に発見された。自転車で転倒して頭部を強打。船橋市内の病院で4時間半に及ぶ手術を受けて、集中治療室(ICU)に入った。意識不明の重体だったが、手術後に一時意識を回復。関係者によると、医師は命に別条はないと説明しているという。親方は日本相撲協会理事で16年3月から審判部長を務めている。夫人は元歌手の高田みづえさん。

 二所ノ関親方が倒れて発見された現場は、二所ノ関部屋から約750メートル離れた住宅や公園がある地域だった。千葉県警船橋署によると、目立った外傷はなく、近くには自転車も倒れていたが、大きな破損はなかった。車道と歩道の間に段差があり、車道側に体の右側を下にして、横向けに倒れていたという。当時は雨が降っていたとみられ、同署が状況を調べている。

 通行人の女性に発見された当初は話もできる状態だった。だが、意識不明の重体に陥り、船橋市内の病院に搬送されて午後5時20分ごろから開頭手術を受けた。手術は午後10時すぎに終わり、直後に対応した高田みづえ夫人は「意識はまだ回復していません。予断を許さない状況というのは確かです」と説明した。その後、午後11時に対応した部屋付きの湊川親方(元小結大徹)は「無事手術は終わり、ICUに入っている。意識は1度戻った。今は昏睡(こんすい)というか眠っている状況」と話した。命に別条はないという。

 湊川親方によると、二所ノ関親方はこの日も部屋の朝稽古に姿を見せていた。その後はいつも通っている銭湯に向かったそうで、転倒したのは「そのサウナからの部屋に戻る途中だと思う」と説明。持病を耳にしたことはなく「自転車で走り回るぐらい運動し、一生懸命歩いたり、体に気を使っていた」とも話した。

 二所ノ関親方は鹿児島県中種子町に生まれ、鹿児島商工高(現樟南高)を経て「土俵の鬼」で知られる初代横綱若乃花の二子山部屋に入門。75年春場所で初土俵を踏んだ。浅黒い体に俊敏な動きから「南海の黒豹」の異名を取り、82年九州場所後に大関に昇進。84年は春、名古屋場所で優勝。綱とりこそかなわなかったが、71勝19敗とその年の年間最多勝も獲得。翌85年2月には、当時アイドル歌手として絶頂期だった夫人との婚約を発表した。87年名古屋場所途中で引退し、年寄「松ケ根」を襲名。90年2月には独立して松ケ根部屋を興し、14年12月に「二所ノ関」を襲名。現在、部屋には幕内松鳳山ら12人の力士が在籍。また、14年に日本相撲協会理事となり、16年3月からは審判部長を務めている。

 ◆二所ノ関六男(にしょのせき・むつお)元大関若嶋津。本名・日高六男。1957年(昭32)1月12日、鹿児島県中種子町生まれ。鹿児島商工高(現樟南高)相撲部から二子山部屋に入門。75年春場所初土俵。浅黒い体に俊敏な動きから「南海の黒豹(ヒョウ)」の異名を取り、82年九州場所後に大関昇進。84年春、名古屋場所優勝。87年名古屋場所途中で引退し「松ケ根」、14年12月から「二所ノ関」襲名。夫人は元歌手高田みづえさん。通算515勝330敗21休、優勝2回。