角界に人生をささげる、つもりだった。横綱日馬富士(33=伊勢ケ浜)が、将来的に協会に残るために、日本国籍取得の準備を進めていたことが分かった。親方になれる条件は、幕内通算勝利数や関取通算場所数など、いくつかクリアしなければいけない条件があるが、第一条件として「日本国籍を有する者」が必須。しかし、日本国籍を取得する前に引退を決めたことで、親方になる夢は消滅した。

 相撲に対して常に愚直だった日馬富士だからこそ、感謝と恩返しの気持ちがあった。記者会見で「暴行問題が起きなければ引退後も協会に残ろうと思っていたか」と問われ、「相撲があっての私なので、相撲道に恩返ししたいなという気持ちはありました」。堂々と、しかし少し寂しそうに言った。

 準備は、着々と進んでいた。日馬富士の近い関係者によると、日馬富士は親方となって相撲協会に残るために、日本国籍取得の準備を進めていたという。すでに弁護士への依頼も済ませており、必要な書類などをそろえている段階だった。しかし、暴行問題が発覚。同関係者によれば、日馬富士が「日本人になって親方として残ろうかと思ったけどこれでどうなるか」と、不安を口にしていたという。その不安は的中し、相撲協会に残る道は閉ざされた。

 暴行問題の責任を取って引退を決意したが、人徳はあった。06年に父ダワーニャムさんを交通事故で亡くした当時のモンゴルでは、深刻な救急車不足だった。以降、日馬富士が仲介役となり、これまでに日本から16台の救急車がモンゴルに贈られた。巡業では横綱土俵入り後に花道を引き揚げる際に、赤ちゃんを抱っこして写真を撮るなどサービス精神旺盛。また、モンゴルに来年9月開校予定の学校を建設中で、子どもたちのことを常に考えていた。

 親方になる夢は、はかなくも散った。モンゴル人横綱の引退は、10年の朝青龍以来となり、またしても暴行問題によるものとなった。弟弟子の将来を考えてのものとはいえ、行き過ぎた愛のムチだった。

 今後の見通しは白紙のままだ。「人様に迷惑をかけないように、ちゃんとした生き方をして頑張っていきます」。マイナス地点から再スタートする。【佐々木隆史】