栃ノ心の大関昇進が事実上決定した。審判部が大関昇進を諮る臨時理事会の招集を八角理事長(元横綱北勝海)に要請して了承された。30日の臨時理事会、名古屋場所番付編成会議を経て正式決定する。

 関脇最後の相撲はすでに、大関のそれだった。栃ノ心が、自分より2センチ大きな勢の体を起こして、左上手、右下手とまわしを引いた。自慢の右四つから4度、力を込めて寄り切った。直後の結び、鶴竜が白鵬を破った一番は、土俵下で見届けた。優勝決定戦にならず「どきどきしながら、見たんだけど…。悔しいね」とこぼしたが、表情は明るい。「初日と千秋楽は大事。次につながるからね」と持論を語る姿に風格が漂っていた。

 さあ大関だ。関脇以下が対象の三賞は、今場所の敢闘、技能を加えて11個。「宝物です。トロフィーとかね。もう十分じゃない?」とやり残しはない。新入幕から所要60場所は史上1位タイのスロー昇進。10年名古屋場所を新三役で迎え、右膝負傷で12年春場所に西幕下55枚目まで落ちた。「三役→幕下→大関」という“地獄を見た男”は、琴風(現尾車親方)と自分と2人だけ。「尾車親方でしょ? 知ってたよ。僕と2人? それ、かっこいいね」。大関以上は東京場所の場合、地下駐車場への車通勤が認められるが、春日野部屋から国技館は徒歩10分。「歩いて来るよ。近いのに変でしょ」。苦労を重ねたからこそ、変わりたくない。「大関だから負けたらダメと思えば負ける。だから普通にやります」。自然体の庶民派で、大関道を歩んでいく。【加藤裕一】

 ◆スロー昇進 栃ノ心が大関昇進にかかった、新入幕からの所要60場所は、2代目大関増位山に並んで史上1位。初土俵からの所要73場所は、高安に並ぶ同9位。また「30歳7カ月」での昇進は、年6場所制が定着した1958年(昭33)以降で4位の年長記録。

 ◆琴風の場合 78年初場所で新三役、関脇昇進を果たしたが、79年名古屋場所で西幕下30枚目まで転落後、81年九州場所で大関に昇進した。