大関昇進を事実上決めた関脇栃ノ心(30=春日野)。3回連載「新大関栃ノ心 ジョージア オン マイ マインド」で、角界屈指の怪力相撲の原点や、人物像に迫ります。

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 栃ノ心=怪力相撲。そのスタイルをいかに手にしたのか。春日野親方は「部屋の稽古相手は、彼の中で非常に大きい。栃煌山、碧山にやられちゃう。なかなか勝てなかった」と、仲間に恵まれた点を強調した。

 サンボ欧州王者、柔道ジョージア代表候補の肩書を持ち、04、05年相撲の世界大会で来日、角界入りを決めて、06年2月、春日野部屋に入門した。最初に部屋を訪れた時、部屋前に座るざんばら髪の男がいた。1年前に入門した栃煌山。12年3月には碧山が、14代田子ノ浦親方の急逝に伴う部屋の閉鎖で移籍してきた。

 「2人とも相撲の世界大会に出てたんだ。角界に入って知ったんだけどね」。新三役場所は栃ノ心が10年名古屋なら、栃煌山はより早い09年夏、碧山は12年秋。栃煌山の速く強烈な押し、碧山の破壊的な突きを申し合いで浴び続けた。「1人じゃ強くなれない。2人がいたからだよ」という。

 「栃ノ心関は“兄弟”だよ」という碧山は「いつの間にかバケモノになっちゃったけど」と笑う。研究熱心で真面目な栃煌山は「栃ノ心関のずぶとさが欲しいです」と嘆く。誰が大関になってもおかしくない3人がぶつかり合い、栃ノ心が今の栃ノ心になった。【加藤裕一】