大相撲の元小結で、引退後に八百長の存在を明言した板井圭介さんが14日、死去した。62歳だった。都内の自宅で倒れているところを発見され、その後、死亡が確認された。現在はない大鳴戸部屋で同部屋だった、元十両のプロレスラー維新力によると、第一発見者は板井さんの現役時代の付け人。維新力は「元付け人は引退後もずっと板井さんと交流があった。体を壊して働くことができず、独り暮らしだった板井さんの世話をしていて、病院に来るはずの時間に来なかったので、おかしいと思って見に行ったら、自宅で息を引き取っていたそうです」と説明した。

 死因は14日現在まで特定されておらず、元付け人が発見した時は、蛇口から水が出続けている状態で、急死の可能性が高いとみられる。板井さんは近年、糖尿病などで定期的に病院に通い、心臓にはペースメーカーも埋め込んでいた。一方で現役時代から膝を痛めていたが、愛犬の散歩が日課で自力で歩いていたという。維新力は「いろいろ言われた方ですが、稽古場では本当に強いし、自分が付け人をしていた時も偉そうにすることもなく、人格者だった」と話した。

 板井さんは78年秋場所で初土俵を踏むと、序ノ口から三段目まで3場所連続で優勝し、当時最多の26連勝を記録した。突き、押しを武器に、金星3個すべてを大乃国から獲得し「大乃国キラー」として知られた。東前頭14枚目だった91年名古屋場所で幕内4人目の15戦全敗。翌秋場所中に引退した。引退に際して「春日山」の年寄名跡を借りて相撲協会に残る話も出ていたが、立ち消えになった。00年に日本外国特派員協会の講演で、自らの体験を挙げて八百長を告発。同年、八百長の暴露本を出版した。08年には記事を巡る裁判に証人として出廷し、自らの八百長への関与を認めた。

 ◆板井圭介(いたい・けいすけ)1956年(昭31)3月21日、大分県臼杵市生まれ。大分水産高(現海洋科学高)から実業団の黒崎窯業を経て大鳴戸部屋入門。同年秋場所に前相撲で初土俵。序ノ口、序二段、三段目と3場所連続で優勝。序ノ口からの26連勝は当時最多。幕下も2場所で通過し、79年秋場所新十両、80年秋場所新入幕。89年夏場所で自己最高位となる小結に昇進。幕内に54場所在位し、通算成績は496勝515敗(前相撲3勝、不戦敗5含む)98休。金星3個。殊勲賞、技能賞各1回。91年秋場所限りで引退。