第54代横綱でプロレスラーにもなった輪島大士さん(本名輪島博)が8日午後8時、東京・世田谷区の自宅で亡くなった。70歳。死因は下咽頭がんと肺がんの影響による衰弱だった。

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相撲では大横綱だった輪島さんだが、私には大きな甘えん坊に見えた。困ったことが起こると、「お願いだから~、頼むよ~」と、大きな体を丸めて、モジモジ。そんな姿を見せられると、ついやってあげたくなる。得な性格だった。

プロレスラーとして最初の洗礼は、デビュー前のハワイでの最終調整を終えて、米国デビュー戦に向かうホノルルの航空機チェックインカウンターだった。故ジャイアント馬場さんが用意していたのは、プロレスではあくまで「新弟子」という扱いだからエコノミー席だった。

ここで輪島さんは、「体が入らないからさあ、ビジネスにならないかなあ」と、大胆にも記者にアップグレードを要求。普通に言われたら、「無理です」と断れたのだが、上目遣いで頼まれたのもあって「馬場さんには内緒ですよ」と、記者の自腹でビジネスに交換してしまった。これが最初の甘えん坊被害となった。その後も、ことあるごとに、甘えに乗せられてしまった。他社の記者も同様のようで、ある意味、輪島さんの人間性にひかれていってしまうのだと感じた。

約3年という短い期間のプロレス生活では不器用さが目立ってしまい、本領は発揮できなかった。だが、輪島大士というレスラーがその時代にいたことは誰も忘れないと思う。【元バトル担当=川副宏芳】