小結貴景勝の優勝は、元貴乃花親方の教えがあったからこそ-。「偉大な師匠」と慕っていながらも、過去に1度だけ教えに背を向けたことがあった。ただ、すぐにそのことを後悔して改心。そこから「貴イズム」を胸に再び稽古に励み、賜杯を抱いた。

元貴乃花親方の教えは、単純明快なものだった。貴景勝の頭の中にしっかり刻まれている。「よく食べて、よく寝て、よく稽古して。稽古でしか強くなれない、口酸っぱく言われました」。

昨年4月の春巡業。会場の支度部屋で弱音を吐いた。「せっかく関取になったのに。こんなのありですか」。猛稽古で知られた旧貴乃花部屋。朝5時ごろには稽古場に明かりがつき、昼頃まで稽古するのは日常茶飯事。強くなるためとはいえつらかった。つらい稽古から逃れるため考えたのが、関取になって親方の目が届かない巡業に参加することだった。入門して2年たった16年夏場所で、念願の新十両に昇進。だが同時期に、元貴乃花親方が巡業部長になった。結局、365日稽古漬け。巡業では十両の申し合い稽古から参加し、1日30番以上は当たり前。「オーバーワークです」と愚痴を吐いた。

転機は昨年12月の冬巡業だった。元貴乃花親方は、元横綱日馬富士の暴行問題の余波で冬巡業を全休。そして、かつての「もくろみ」通り、貴景勝の冬巡業での稽古量は明らかに激減した。相撲を取っても1日5番取るかどうか。果たして、今年の初場所では5勝10敗と大きく負け越した。同場所後「やっぱり稽古しないといけないな」とつぶやきながら悔やんだ。

そこから改心して稽古に励み、10月に部屋が変わっても稽古の大事さを忘れなかった。175センチと低身長ながら今場所目立った強力な突きや押し。土俵際での粘り腰やここぞという時のはたきの勝負勘は、元貴乃花親方の下で積んだ鍛錬のたまものだ。この日、元師匠に伝えたいことがあるかと問われると「おかげさまで優勝できました」と感謝した。これからも元貴乃花親方の魂を胸に角界人生を歩む。【佐々木隆史】