横綱稀勢の里(本名萩原寛、32=田子ノ浦)が、約17年に及ぶ波乱に満ちた力士人生に別れを告げた。

稀勢の里は今後、年寄荒磯(あらいそ)を襲名し、史上2例目となる4代連続の横綱誕生を目指し、後進の指導にあたることになる。入門時から指導を受けた先代鳴戸親方(元横綱隆の里)、その師匠にあたる元二子山親方(元横綱初代若乃花)と、二所ノ関一門における横綱の伝統を受け継ぎ、稀勢の里で3代目だ。

横綱だった師匠がまた横綱を育てる系譜。たとえば出羽海一門では常陸山、常ノ花、佐田の山、三重ノ海、武蔵丸と横綱が5代続く。元武蔵丸の武蔵川親方が、現在も弟子の育成に尽力しているが、稀勢の里にはこれに負けじと、横綱の系譜の継承を期待されている。

昨年11月の九州場所を休場後、自身の稽古と並行して弟弟子の指導も行っていた。自らが保有する上半身を鍛える器具を稽古場に持ち込み、若い衆に筋力強化に努めさせるなど、以前よりも精力的に後進育成に力を注ぎ「みんな力が付いてきた」と目を細めている。

先代鳴戸親方には「心臓から汗をかけ」とハッパを掛けられ、多い日は1日100番にも及ぶ猛稽古で強くなってきた。「心臓から-」は、先代鳴戸親方が、元二子山親方に言われてきた言葉。土俵に命を懸ける心意気を示せという意味もあるという。脈々と受け継がれる教えを踏襲しつつ、現在は部屋の若い衆に四股を踏む際の姿勢から助言。基礎運動重視の伝統的な指導者像もかいま見える。

今場所前は「自分と向き合う稽古もある」との持論を展開し、相撲を取る稽古はこれまでよりも控えめだった。伝統と自身の経験から生まれた指導法で、当面は田子ノ浦部屋の部屋付き親方として指導。その後、荒磯部屋を設立する可能性もある。【高田文太】