年寄荒磯を襲名した元横綱稀勢の里が人気絶頂のまま土俵を去った。「稀勢ロス」が広がっている。老若男女を問わず誰からも愛され、人気を集めたのはなぜだったのか。今日から随時、連載します。第1回は好角家として知られる漫画家のやくみつる氏(59)。

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多くの人が抱く、お相撲さんのイメージを体現していたのが稀勢の里関だったと思う。お相撲さんは、こうあってほしいというものを持っていた。言い訳もしないし、多くを語らない。でも普段は語らないのに、最後の引退会見では理路整然と話していた。それだけ内に秘めたものなど、普段は語らないからこそ見えてくるものがあった。愚直さが本当に伝わってくる。

相撲も器用なタイプではなかった。どんな相手、立ち合いにも対応できるわけではないような、不器用なところも人を引きつけたと思う。ただ、立ち腰だった割には粘りがあった。(新横綱の17年春場所で)左の胸や腕を大けがをしたことで、上半身に力が戻らなかったことが引退の要因とされている。しかし、むしろ先場所と今場所は下半身の粘りがなくなった。その衰えが引退につながった。

同じような雰囲気を持っているのは、貴景勝関ではないかと思う。左四つの稀勢の里関と同じように、貴景勝関も愚直に突き、押しで番付を上げてきた。言動を見ていても、同じようなものを感じる。他には錦木も苦労人という点で、似たものを感じる。(稀勢の里が引退して今場所4日目に予定されていた初顔合わせが実現せず)最後に取らせてあげたかったですね。

今後は親方として指導するが、引退会見では「ケガのない力士を育てたい」と話していた。(稀勢の里の先代師匠の)鳴戸親方(元横綱隆の里)は「けがは土俵で治せ」という方だったので、少し指導法は違うかもしれない。ただ、同じような雰囲気を持った力士を育ててほしい。

◆やくみつる 本名・畠山秀樹(はたやま・ひでき)。1959年(昭34)3月12日、東京・世田谷区生まれ。漫画家。好角家として知られ、日本相撲協会生活指導部特別委員会委員なども務めた。