引退をニュースで知ってその日(16日)の朝に「ご苦労さまでした。力になれなくてごめん」とメールをした。そしたらすぐに「今後ともよろしくお願いします」と返ってきたから電話をかけた。稀勢の里関は普通やったけど、俺が泣いて詰まってしまって何も言えなかった。日本人横綱を1人で背負っていた。

13年1月のライスボウル(アメフト日本選手権)で稀勢の里関がテレビ中継のゲストで来ていて、その年の春場所に「鳥内さんに会いたい」ってなって一緒に食事に行って意気投合した。それ以来春場所の時は、うどんと焼きそばの玉を宿舎に届けている(鳥内監督は大阪市内で製麺業を営んでいる)。

昨年の春場所は休場している本人に、じっくり治したらいい。あわてんでいいと話をした。相撲の古い慣習というか、やりながら治せるというところがあるが、そうできるケガと絶対にやれないケガもある。稀勢の里関のはやれないケガ。そこで出るなと言える親方、協会がいなかったんやろうな。その認識を変えないと。

稀勢の里関は責任感が強いから無理して出てしまう。横審の対応(激励)もいかんかったな。休んだらええねん。半年おいてあげるとか、ケガした最初の1年で休ませておけば今はどうなっていたか。稀勢の里関は元々相撲が好きで、長くやりたい。40歳まではやりたいって言うとったからな。アメフトはケガしても交代メンバーがおるが相撲は1人。代わりはおらへんもんな。

会見で一片の悔いもないと言うとったが横綱としての悔いはあると思う。この自分の経験を生かした親方になってほしい。

◆鳥内秀晃(とりうち・ひであき)1958年(昭33)11月26日、大阪市出身。関学大アメフト部監督。監督として甲子園ボウル優勝11度、ライスボウル優勝1度。