4月25日に肺炎のため死去した元関脇黒姫山の田中秀男(たなか・ひでお)さんの通夜が、平成最後の日となった4月30日、東京・両国の回向院(東京都墨田区両国2の8の10)で営まれた。

元号が変わり令和最初の日となる5月1日の午前11時半から、同所で告別式が営まれる(喪主は妻の田中久美子さん)。

通夜には日本相撲協会の八角理事長(元横綱北勝海)、芝田山親方(元横綱大乃国)、境川親方(元小結両国)、春日野親方(元関脇栃乃和歌)ら協会理事や、巡業部時代に世話になった親方衆二十数人が参列。その他の関係者を含め約250人が故人の冥福を祈った。

その中の1人で、64年春場所初土俵の同期生だった元関脇高見山の渡辺大五郎さん(74)は、強烈なぶちかましで「デゴイチ」の異名を取った田中さんを「私たち同期は36人いました。私は19歳で彼は15歳。残念です。ぶつかり稽古がうまくて巡業ではいつも『胸を出してやってくれ』と巡業部長に頼まれていた。いい人で、ものすごく健康だったのに」としのんだ。

孫で昨年夏場所初土俵の田中山(17=境川)は、序ノ口から5場所連続勝ち越し中で、夏場所は東三段目47枚目まで番付を上げた。そんな順調な出世にも「(亡き祖父は)常に四股やテッポウの基本動作をしっかりやりなさい、と言われました」という。現役時代の祖父の映像も見ており「立ち合いからの出足は勉強になります。立ち合いを見習っていきたい。稽古を頑張るだけです」と亡き祖父に誓っていた。

新潟県西頸城郡青海町(現糸魚川市)出身の田中さんは、1964年(昭39)3月の初場所で立浪部屋から初土俵。それからちょうど5年後の69年春場所で新十両昇進を果たした。2場所で通過し同年名古屋場所で新入幕、翌70年九州場所で新三役の小結昇進を果たした。小結と平幕上位をしばらく昇降した後、74年名古屋場所で自身最高位の関脇昇進を果たした。

西十両8枚目だった82年初場所12日目を最後に現役を引退した。通算108場所で1368回出場し、677勝691敗2休。三賞は8度受賞(殊勲4、敢闘3、技能1)、金星も6個獲得した。引退後は錦島、山響、出来山、北陣と年寄名跡を変更し88年2月1日から「武隈」を襲名。99年3月に立浪部屋から独立し力士2人を連れて武隈部屋を設立。04年3月に引退により力士不在となり、武隈部屋は消滅。友綱部屋の部屋付き親方として後進の指導にあたり、13年11月に定年退職した。

「デゴイチ」の愛称で親しまれた蒸気機関車(SL)「D51」の豪快な前進力に似た、おでこからぶちかまし、前に出る押し相撲で対戦相手から恐れられた。3場所連続の北の湖を含め北の富士、琴桜、輪島から金星を獲得した。