令和最初の本場所で、西前頭8枚目の朝乃山(25=高砂)が初優勝を飾った。

近年、押し相撲の若手が台頭する中、王道の四つ相撲で大関豪栄道を寄り切り。12勝2敗とし、直後に1差だった横綱鶴竜が敗れ、昨年初場所の栃ノ心以来となる平幕優勝を決めた。富山県出身としては元横綱太刀山以来103年ぶり、三役経験がなく優勝したのは佐田の山(後の横綱)以来、58年ぶりという記録ずくめ。新時代到来を印象づける優勝となった。

「富山の人間山脈」の愛称はダテじゃなかった。朝乃山は重い腰で豪栄道を組み止めると、じっと我慢した。押し込まれたが、左上手を引くと体勢を入れ替えて寄り切った。三役経験がないと感じさせない落ち着きぶり。土俵下の控えで結びの一番を見届けると、鶴竜が敗れて初優勝が決定。「まだ実感はない。大関に勝てたことがよかった」。実は大関戦初白星。横綱とは対戦経験すらない。「令和で優勝できてうれしい」と話すが、涙を見せず冷静な姿が新時代を象徴した。

前日13日目の栃ノ心戦の勝ち方に「ずっとモヤモヤしていた。一生残る」と、寝付けなかった。前日の行司軍配差し違えに、インターネットでは疑問の声が噴出。自分でも部屋に帰って映像で確認したが「微妙ですね」と感じた。だが、この日の優勝インタビュー後、栃ノ心とすれちがいざまに「昨日の相撲はすみませんでした」と話すと「おめでとう」と祝福された。胸のつかえが少しだけ晴れた。

優勝を報告したい人に、富山商高相撲部監督だった故浦山英樹さんの名を挙げた。17年1月、40歳で亡くなった恩師に厳しく育てられた。褒められた記憶は最後の大会後の1度だけ。それでも恩師は、新十両を確実にした幕下での取組翌日に亡くなる直前まで病床から応援していた。遺族から託された遺書は「石橋、お前はよく相撲を頑張っている。俺の誇りだ。横綱になれるのは一握り。お前にはその無限の可能性がある。富山のスーパースターになりなさい」。病気の影響で震えた文字で記され、本場所には常に持参。見せられなかった化粧まわし姿は今場所、恩師の名が刻まれたものを着用し続けている。

名門高砂部屋としては元横綱朝青龍以来、9年ぶりの優勝となった。優勝制度が制定された1909年(明42)夏場所を制した優勝第1号も同部屋の高見山酉之助、110年で朝乃山は12人目。部屋は1878年(明11)の創設以来、歴代最長139年も関取を輩出し続けていた。17年初場所で途切れたが、翌春場所で朝乃山が新十両となり、新たな歴史を刻み始めた。押し相撲隆盛の時流にも「四つ相撲の柱になりたい」。新時代の申し子が、王道で次世代の旗手になる。【高田文太】