初優勝を狙う大関高安(29=田子ノ浦)に暗雲が垂れこめた。関脇玉鷲を押し倒しで破り、全勝の鶴竜、白鵬の両横綱を追って、ただ1人1敗をキープ。

だが取組中に左肘を痛め、取組後は無言だった。今場所の大関陣は初日から貴景勝、6日目から栃ノ心、さらにこの日から豪栄道が休場。唯一残った高安も休場となれば、史上最多の4大関休場という事態に陥る可能性まで出てきた。

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取組直後に、高安は痛めた左肘を押さえて下を向いた。必死に胸を張ったが、土俵を下りるまでに何度も口をふくらませ、大きく息を吐いた。支度部屋に戻るとアイシング。左肘の位置を固定して風呂に向かい、そのまま引き揚げた。その間、終始無言。もともと勝っても口数は少ないが事態の深刻さを物語っていた。田子ノ浦部屋関係者によれば、打ち出し後は治療に努め、9日目の朝に出場の可否を決める。

立ち合いから左を差しにいった。相手の圧力に突き放されそうになったが、体を寄せて再び差しにいった瞬間に左肘をきめられた。玉鷲が小手に振ってきた際に、左肘の関節が逆方向に曲がった。その後は左腕を使えず、右で張り、さらに右から攻める中で、相手が足を滑らせた格好で押し倒し。1敗を守った。全勝の両横綱と直接対決を残し、自力で初優勝の可能性を残す中、負傷に見舞われた。

追い風は吹いていた。初日の10日前に腰を痛めたが復調。この日の朝稽古後は「とてもいい感じで来ている。充実している」と、体調面の不安はなくなっていた。稽古でも普段とは違う動作を取り入れた。腰下ろしのような動きで体幹バランスなどを確認し、体を「く」の字に曲げた状態からの押しなども繰り返した。順調だからこその試みだったが、一気に暗転した。

昨年5月の夏場所で全休し、59年ぶりに大関不在という不名誉な記録をつくったが、当時の大関は豪栄道と2人だけだった。左肘の痛みが深刻で、4大関休場となれば史上初の事態となる。【高田文太】