大相撲の最年長関取、安美錦(40=伊勢ケ浜)が現役を引退し、年寄「安治川」を襲名した。いかにして歴代1位の関取在位117場所目にたどり着いたのか。その横顔を3回にわたって紹介する。2回目は、右膝のサポーターについて。

 

3年前の5月、安美錦は左アキレス腱(けん)を断裂した。必死のリハビリで土俵に復帰したが、妻絵莉さんにはこう告げていた。

「次に大きなケガをしたら、もうやめるから」

すでに古傷の右膝にサポーターを付けていたが、安美錦は妻から提案されたことを覚えている。

「サポーターを全部、見直してみたらどうかと言われた。その発想は自分にはなかった」

スポーツ医学に優れ、大柄なスポーツ選手の多い米国なら、よりよい製品があるかもしれない-。そんな考えのもと、早大法学部卒で英語に堪能な絵莉さんが、米国の業者を調べて電話で問い合わせた。すると、日本の窓口となっている会社を紹介してくれた。そうして、日本シグマックス株式会社との縁ができた。

2人で東京・新宿の会社を訪れて相談。事情を説明すると、無償での支援を約束してくれた。

それまでは、「ブレース」と呼ばれるカーボン製の装具を右膝に付け、その上からサポーターで覆っていた。よりフィット感を増すため、まずサポーターを付けてからブレース、その上をサポーターで覆うかたちに変えた。日本相撲協会に問い合わせながら、使える素材などを確認し、すべてを採寸して作り直した。

安美錦は言う。

「アキレス腱を切った後も相撲を取れたのは、このおかげ。あれからケガをしなくなった。出会っていなかったら、またケガをしていたかもしれない。今回のケガも、MRIを取ってみたら、サポーターのおかげで軽減していたみたい」

日本シグマックスはこれまで、安美錦を支援していることを広報することはなく、裏方に徹してきた。同社東日本営業所リーダーの中里政頼氏は「CMを打つようなメーカーではありませんから。当初から、上司も含めて『少しでも長く相撲をとってくれればいい』という思いでおりました。病院に物を下ろす会社ですから、1人にかかわることはあまりなく、直に評価をいただけることは少ないんですよ」と話す。

引退表明があった日、安美錦から電話が入り、謝意を伝えられたという。同社ではその翌日、全社員に向けてこのメッセージを発信した。

満身創痍(そうい)でも土俵に立ち続けた安美錦。その陰には、黒子に徹した人たちの支えがあった。【佐々木一郎】