大相撲の第49代横綱栃ノ海、花田茂広さんが29日未明、誤嚥(ごえん)性肺炎のため死去した。存命の歴代横綱では最年長の82歳だった。青森県南津軽郡出身で現役時代は技巧派横綱として活躍。身長は180センチに届かない小兵だったが、優勝3度、横綱を2年10カ月務めた。引退後は横綱栃錦の後継者として春日野部屋の師匠を務めた。葬儀・告別式は家族葬で営まれる。

花田さんは17年に第50代横綱の佐田の山が79歳で死去し、存命の横綱経験者としては最年長となっていた。年6場所制に移行した58年以降の入幕力士でも、横綱経験者としては最高齢だった。

小兵の横綱として活躍した。弘前商高(現弘前実高)時代は2年生まで野球部で、いくつかの運動部をへて相撲部に入部。弘前に巡業に来た力士一行の中に小学校時代の友人を見つけたことが、角界入りのきっかけとなった。第27代横綱栃木山の春日野親方が師匠を務める春日野部屋に入門し、初土俵は55年秋場所。入門当時の体格は175センチ、75キロ程度だったが、前さばきのうまさや変幻自在の取り口で順調に出世し、関脇だった62年夏場所で初優勝を果たすと、場所後に大関昇進した。

64年初場所後に待望の横綱昇進を果たしたが、体格のハンディゆえか故障に苦しんだ。右上腕の筋断裂や椎間板ヘルニアなど、度重なるけがの影響もあり昇進後の優勝は1回のみ。昇進から2年10カ月後の66年11月、九州場所を最後に引退した。横綱在位は17場所。それでも技能賞は通算6度など、ファンを魅了する力士として人気を集めた。

現役引退後は年寄中立を襲名して春日野部屋付き親方として後進の指導にあたっていたが、当時部屋の師匠だった元横綱栃錦の春日野親方が定年を目前にして急逝。90年に栃ノ海が春日野部屋を継承し、名門部屋の師匠として関脇栃乃洋や小結栃乃花らを育てた。

訃報を受けて、日本相撲協会の八角理事長(元横綱北勝海)は「突然の訃報に接し、思いがけないことゆえ、驚いております。生前は、春日野部屋の師匠として多くの関取を育てられ、理事としても相撲道の継承と発展にご尽力いただきました。ご生前のご功績を偲び、心よりご冥福をお祈り申し上げます」とコメントを発表した。