日本相撲協会は13日、元関脇麒麟児の垂沢和春さんが3月1日に多臓器不全のため死去したと発表した。67歳だった。

強烈な突っ張りを武器に、幕内通算84場所で三賞受賞は11度。昭和28年生まれで「花のニッパチ組」の1人として土俵を沸かせた。現役引退後は北陣親方として後進の指導に当たり、18年に日本相撲協会を退職していた。

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また1人、名力士がこの世を去った。日本相撲協会は、元関脇麒麟児の垂沢さんの死去を発表。協会関係者によると、15年夏ごろに頭部の腫瘍摘出手術を受けた影響で顔面にまひの症状が残り、体調が悪かったという。18年3月に65歳の定年を迎えたが、再雇用制度は利用せずに協会を退職。3年後の3月1日に、自宅で多臓器不全により死去した。近年は糖尿病と腎臓を患っていたという。葬儀・告別式は家族葬で執り行われた。

1967年夏場所で二所ノ関部屋から初土俵を踏んだ。昭和28年生まれで「花のニッパチ組」の1人として、元横綱北の湖、元横綱2代目若乃花らとともに人気を誇った。1975年夏場所8日目の天覧相撲では、富士桜との計108発に及ぶ壮絶な突っ張り合いを披露。昭和天皇が身を乗り出して観戦された一番は、今も語り草となっている。幕内優勝こそ果たせなかったが、金星6個、三賞受賞は11度と実績を残した。

88年秋場所を最後に35歳で現役引退後、北陣親方として二所ノ関部屋で後進を指導した。相撲協会では主に巡業部に所属。大相撲中継では爽やかな語り口の解説で親しまれた。

◆麒麟児和春(きりんじ・かずはる)本名・垂沢和春。1953年(昭28)3月9日、千葉県柏市生まれ。67年夏場所初土俵、74年初場所新十両。同年秋場所で新入幕。強烈な突っ張りを武器に金星6個、殊勲賞4回、敢闘賞4回、技能賞3回と三賞計11回受賞。最高位は関脇。幕内通算84場所で三役は通算17場所。通算773勝792敗34休。88年秋場所限りで引退し、年寄「北陣」を襲名。18年3月に日本相撲協会を定年退職。