大相撲の特等床山、床淀(とこよど、本名・天井康広)が18日に65歳の定年を迎え、日本相撲協会を退職した。1972年(昭和47年)に15歳で角界入りしてから丸50年。「ホッとしている気持ちが半分、さみしい気持ちが半分。いろんなことが走馬灯のように浮かんでは消えますが、あっという間でした」と電話インタビューに答えた。

入門したのは、元幕内二瀬山の朝日山部屋。力士志望だったが体格が基準に満たず、床山の道を選んだ。師匠の急逝にともない、部屋は元小結若二瀬へ継承され、その後は元大関大受の定年により閉鎖。2015年2月からは伊勢ケ浜部屋に転籍して、力士のまげを結い続けた。

床山は、行司や呼び出しのように本場所で土俵に上がることはない裏方。日ごろは所属する部屋で、本場所中は支度部屋でも力士の出番前と後にまげを結う。基本的に年功序列の世界。床淀は2019年初場所から床山の最高位、特等床山を務めてきた。

かつては、太寿山(現在の花籠親方)の大銀杏(おおいちょう)を担当する時期もあった。「そんなに年が変わらない関取を尊敬していました。付け人に怒っているのもあまり見たことがないやさしい人。こちらが相撲を取るわけではありませんが、負ければこっちも落ち込みました」。関取に最も近い場所で、ピリピリした雰囲気の支度部屋を体感してきた。

床山としての名前を2度も変えた珍しい経歴もある。入門時は、本名の康広から「床康(とこやす)」。「出羽海部屋の先輩で床安(とこやす)さんがいました。同じ宿にまとめて泊まる時、間違えられるので、『悪いけど変えてもらえないかな』ということで、変えたんです」。当時は東京・江戸川区に部屋があったため、「床江戸」に改名した。だが大阪出身であるため、その数年後に淀川の淀をとって「床淀」に落ち着いた。

仕事が第一ではあったが、巡業などで日本全国を回ったことが思い出として残っているという。このほど定年を迎えたが、コロナ禍にあるため、祝いの席などは設けなかった。昨年11月の九州場所、今年3月の春場所はいずれも東京開催になり、当地の人たちに会えなかったことが心残り。「コロナがいつ終息するか分かりませんが、落ち着いてから、お世話になった方々にあいさつにいきたいですね」と、定年後のささやかな楽しみを口にした。

最後に、後輩たちへのメッセージを-。「国技の伝統を受け継いでいるわけですから、誇りをもってやってもらいたいですね」。胸の内に「誇り」があったからこそ、生涯裏方を貫けたという。【佐々木一郎】