もう6年近く、預かっていた手紙がある。

封筒には「2015・10・08」。当時、照ノ富士の横綱昇進は時間の問題とみてモンゴルへ取材に向かい、母オヨンエルデネさん(50)に「昇進したら渡しましょう」とサプライズ企画を持ち掛けた時のものだ。快諾してしたためてくれた1枚の便箋には、時がたっても変わらぬ思いが詰まっていた。

特別なねぎらいの言葉はない。理由は「頑張ってくれればいい。目標のために一生懸命頑張る性格だから」。その後、苦難の相撲人生を歩むことになったが、今でも「『自分を信じて頑張ってください』と伝えたい」という。誰よりも愛息を知る母だからこその、色あせないメッセージだ。

手紙を渡す準備を始めたのは名古屋場所11日目の結果を見届けた後。土つかずなのは「15年秋場所以来」だと聞いて“あの日”を思い出した。15年9月25日。13日目の稀勢の里(現荒磯親方)戦で右膝を負傷。千秋楽で優勝争いをしていた鶴竜(現親方)を本割で破り、決定戦を待つ西の支度部屋では患部に冷却スプレーを1本使い切り、脂汗を垂らしながら必死で平静を装っていた姿が目に浮かぶ。

相撲担当を離れた後も東京場所には顔を出していたが、照ノ富士は内臓疾患もあり気力はどん底状態。最悪の結末も頭をよぎった。母も「本当に健康の問題で何もできないなら引退してもいいと思っていた」という。師匠の慰留、そして結婚もした。周囲の支えがなければ、復活劇はなかったかもしれない。

来日時に母からもらったことわざ集の中に、こんな言葉があるという。「自分が頑張ると、運命も頑張る」。激動の6年間は実り、私も約束を果たせた。この手紙は関係者を通じて、照ノ富士に贈った。いつか直接会って祝福できる日を待ちながら、テレビの向こうから応援したい。【元相撲担当=桑原亮】

 

愛する我が息子へ

この世にある最高の健康と活力がいち早く、あなたに訪れることを祈ります。

息子よ、山の頂を眺めるような落ち着いた心や豊かな考え、忍耐力、そして目標達成のための心の準備をしてください。

賞賛と非難のどちらも受けとめる力を身につけ、勇気、根気があれば、目標を達成できる日は必ず来るのです。

母は、あなたのことをいつも誇りに思っています。心から愛しているよ。

母オヨンエルデネより