優勝45回の幕内最多優勝など、数々の記録を打ち立てて引退した元横綱白鵬の間垣親方が1日、東京・両国国技館で、師匠の宮城野親方(元前頭竹葉山)同席の元、記者会見に臨んだ。師匠、間垣親方のあいさつで始まり、会見は約40分にわたって進んだ。

宮城野親方 本日は白鵬の引退ならびに間垣襲名に報道陣の大勢の方にご出席いただきまして、ありがとうございます。

白鵬もこれから頑張って若い衆の後進の指導にあたって、しっかりと協会のために、頑張ってくれると思っております。これからも協会のために、多くの力士を育て上げてて、皆さま方に貢献できるように頑張っていく所存でございますので、今後ともよろしくお願い申しあげます。本日は、どうもありがとうございました。

間垣親方 本日は足元の悪い中、お集まりいただきまして誠にありがとうございます。私白鵬改め、引退させていただくことになりました。今後、年寄間垣を襲名し後進の指導にあたらせていただきます。20年の現役中は皆さまにたいへん、お世話になりました。そして活躍の場を与えていただきました日本相撲協会に感謝しております。本日はありがとうございます。

-引退の席でどんな思いでいるか

間垣親方 たいへん緊張しています。そしてホッとした気持ちでいっぱいです。

-これまでの会見と思いは違うと思うが

間垣親方 そのとおりです。

-引退は重い決断だったと思うが、どのように決めたのか

間垣親方 引退を決めたのは、名古屋場所中の10日目で決めました。去年の8月から手術をしまして、そしてまたコロナに感染し、3月に再び右膝を手術し、進退をかける最後の場所も、膝もいうことをきかなくなり、そして、この場所は10勝、2ケタ勝利が私の目標でした。初日で必死の相撲で勝ち、若手の一番一番、決して簡単な取組はなかったと思います。その目標の10勝を達成した時に、宿舎に戻り、親方はじめ部屋の皆さん、裏方に今場所で引退させていただきますと、伝えました。

-迷いはなかった

間垣親方 今、右膝のことを思えば迷いはなかったです。

-まだいけるという気持ちはなかったか

間垣親方 やっぱり膝のことを思えばなかったと思います。

-奥さまや子どもたちに伝えた時は

間垣親方 その日には連絡しました。奥さんはやっぱり残念がっていましたけど、子どもたちは(まだ)頑張ってほしいという声はありました。

-モンゴルにいる母や兄弟のみなさんへの連絡は

間垣親方 母に電話した時に、よく頑張ったなと。体が大事ですからということでした。

-21年間、土俵に上がり続けて今、どんな思い

間垣親方 早いような感じがします。本当に相撲が大好きなんだなと、幸せもんだなと思います。

-入門の頃を思い出して

間垣親方 今があるのはやっぱり宮城野親方、師匠が私に声をかけてくれたおかげで今があると思うので、この場を借りて師匠に感謝しております。

-ギリギリで相撲界に入った。1日の違いでもあれば今の白鵬関の姿はなかったと思うが

間垣親方 (唇をかみしめ、目をやや潤ませながら言葉を探し出すように30秒以上の沈黙の後)感謝の気持ちと今後、師匠の元で1から親方として勉強して頑張っていきたいと思います。(続く)