新大関御嶽海(29=出羽海)が誕生した。日本相撲協会は26日、東京・両国国技館で臨時理事会と大相撲春場所(3月14日初日・エディオンアリーナ大阪)の番付編成会議を開き、御嶽海の大関昇進を満場一致で決めた。長野出身では江戸時代に活躍した雷電以来227年ぶりの新大関誕生。伝達式では郷土愛あふれる口上を述べて、大関としての決意を語った。

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「大関の地位を汚さぬよう、感謝の気持ちを大切にし、自分の持ち味をいかし、相撲道にまい進して参ります」。伝達式に臨んだ御嶽海は、堂々とはっきりとした口調で口上を述べた。

大切な2つの言葉を用いた。1つ目は長野・福島中(現木曽町中)相撲部の恩師、安藤均さん(現長野県相撲連盟理事長)の「感謝の気持ちを忘れないで相撲を取りなさい」という言葉。もう1つは、出羽海部屋OBで元立行司の28代木村庄之助の言葉が刻まれた同中の石碑から取った。「絶対にこの言葉を使いたかった。いろんな人に支えられた感謝を込めた」。

石碑は御嶽海がまだ小学生だった00年に、福島中相撲部が中体連の団体戦で全国優勝した時に建立された。木曽町内に在住していた木村庄之助の知人が頼み「自分の持ち味をいかせよ」と揮毫(きごう)された直筆の書が同中に寄贈され、石碑になった。石碑は伝統的に相撲部が朝練の時に毎日磨き、05年に同中に進学して相撲部に入った御嶽海も毎朝磨いていたという。現相撲部の上村裕一監督(50)は「あの言葉が間違いなく御嶽海の礎になっている。口上で使った時は驚いたけど、すごくうれしかったです」と声を弾ませた。

長野県としては227年ぶりの大関誕生。ただ、ここで満足はしない。「ここからスタートラインに立ったと思う。まだ番付が1個あるので、そこを目指したい」。同県初の横綱に向かう旅が始まる。【佐々木隆史】

◆御嶽海の一問一答

-小さい時から相撲を始めて今の姿を想像できたか

御嶽海 小学校の時のインタビューで「横綱より大関になりたい」と言っていたので目標が達成できた。

-なぜ「横綱より大関」

御嶽海 雷電さんの大関というのをずっと聞いていた。大関が1番強いと小学生なりに思っていた。

-長野では227年ぶりの大関誕生

御嶽海 ちょっと雲の上の存在過ぎるので荷が重いというのありますね。

-長野を象徴するしこ名への愛着は

御嶽海 師匠に頂いた名で「名前を大きくするのも小さくするのも自分次第。大きくするように頑張れ」と言われた。この地元(の御嶽山)にちなんだしこ名が今しっくりきています。

-これからは追いかけられる存在になる

御嶽海 僕もまだまだ追いかけるものがあるので、自分のことだけを意識してやっていきたい。

▽使者を務めた同じ出羽海一門の大鳴戸親方(元大関出島) 出足の御嶽海ですから出足を磨いていって欲しい。ここで終わる訳ではないので、もう1つ上を目指して欲しい。

▽出羽海部屋付きの高崎親方(元前頭金開山) 協会の看板ですし、それを自覚して精進していってもらいたい。僕らはサポートするだけですから。

▽出羽海部屋付きの中立親方(元小結小城錦) 喜びはこれで終わり。本人もさらに気を引き締めないといけない。相手もより考えてくるから、どんなことをやられても動じないように。