20年3月の春場所を最後に現役を引退(番付上は20年7月場所の西十両2枚目が最後)した、元関脇栃煌山の引退、年寄清見潟襲名披露大相撲が30日、東京・両国国技館で行われた。

断髪式には、相撲解説者の北の富士勝昭氏(元横綱)ら約300人の関係者が出席。同学年の二所ノ関親方(元横綱稀勢の里)や前日、断髪式をした武隈親方(元大関豪栄道)ら出羽海一門の親方衆はじめ、横綱照ノ富士、新大関の御嶽海、同じ春日野部屋の栃ノ心らが、はさみを入れた後、最後に師匠の春日野親方(元関脇栃乃和歌)が止めばさみを入れ、マゲに別れを告げた。

高知県安芸市出身の清見潟親方(34)は、明徳義塾高から春日野部屋に入門し05年1月の初場所で初土俵。序ノ口から12場所連続勝ち越しで新入幕を果たし、その場所も11勝4敗で敢闘賞を受賞するなど、順調に出世を果たした。09年夏場所で新三役昇進を果たし12年夏場所では優勝こそ逃したが旭天鵬との優勝決定戦に進むなど、三役在位25場所、三賞6回、金星6個と幕内上位で活躍。横綱稀勢の里、大関豪栄道、いずれも関脇の勢、碧山、妙義龍、宝富士、魁聖らを輩出した昭和61年度生まれの、いわゆる「花のロクイチ組」の一人として土俵を彩った。

断髪を終え整髪した後、報道対応した清見潟親方は「頭がスッキリして軽くなって楽になりました」と満面の笑みを浮かべた。断髪中は「ウルッときました。栃ノ心関とか父親とか。師匠がはさみを入れた時に涙が少しジワッときました」と感傷的になったが「整髪してスッキリしています」と切り替えも早かった。現役生活は「なかなか上に上がれず優勝も出来なかったので、応援してくれる人が満足いくような結果を見せられなかった」と話しながらも「自分の相撲は取り切りました。今まで応援していただいた方々に感謝しています」とお礼の言葉を述べた。

コロナ禍で引退相撲も延期を強いられた。実直な性格そのままに「感染が増えたり減ったりしている。(コロナの影響で)今日、来られなかった方もいます。その方たちから『(行けなくて)申し訳ない』と言わせてしまうのが申し訳ないと思います」と、会場に駆けつけられなかったファンにわびた。

引退後は春日野部屋の部屋付き親方として後進を指導している。今後もスカウト活動はじめ、名門部屋の隆盛のために奮闘する。「上に上がれそうな力士が(春日野部屋には)もっといる。その若い子たちの声をしっかり聞いてあげてサポートしたい」と抱負を語った。最後に整髪を済ませた姿で土俵に上がると、来場したファンに「皆さんが納得するような成績を残せませんでしたが、たくさんの応援のおかげで栃煌山らしい相撲を取ることが出来ました。自分がなし得なかった横綱、大関、優勝できる子を育てるように頑張ります」と決意を語り、万雷の拍手を浴びていた。