日本相撲協会は26日、第37代木村庄之助の畠山三郎(はたけやま・さぶろう)さんが22日午後7時ごろに慢性間質性肺炎のため自宅で死去したと発表した。72歳だった。

青森県上北郡六戸町出身の畠山さんは1965年(昭40)に角界入り。2012年九州場所から立行司、第39代式守伊之助を襲名。2013年九州場所から第37代木村庄之助となり、2015年春場所を最後に退職していた。畠山さんの退職から7年以上が経過したが、今も最高位の木村庄之助は空位が続いている。

波瀾(はらん)万丈の行司人生だった。1994年にバイクにはねられたことがある。2008年の秋には、食道がんを患った。2カ月の入院生活を経て1場所で土俵復帰。再び「死」を見たのは、2012年初場所4日目。大関把瑠都に送り倒された小結若荒雄と接触。土俵下に転落し記憶が飛んだ。生前、「気がつけば病院のベッドの上。ピクリともしないから周りは死んだと思ったらしい」と話していた。脳振とうだったが、休まず翌日も裁いた。

定年会見では、巡業で回った全国各地の温泉旅行と釣りを、今後の楽しみとして語っていた。

通夜は30日午後6時、葬儀・告別式は31日午前10時半から、いずれも東京葬祭慈光殿(東京都江戸川区西小岩1の30の26)にて。喪主は妻の静子(しずこ)さん。