[ 2014年6月16日14時31分

 紙面から ]<W杯:日本1-2コートジボワール>◇1次リーグC組◇14日◇レシフェ

 日本には本田がいる。日本代表FW本田圭佑(28=ACミラン)がコートジボワール戦の前半16分に先制ゴールを決めた。前回南アフリカ大会と同じ、誕生日翌日の先制弾。日本人初のW杯2大会連続得点者となり、通算得点を日本人トップの3に伸ばした。試合は1-2で逆転負け。4年前の再現はならなかったが、敗戦の中で強烈なゴールが日本の行く先を照らす唯一の明るい光となる。

 本田に迷いはなかった。戦いを勝ち抜くためにブラジルまで来た。ただその思いを左足に込めた。前半16分。長友からのボールを右足のワントラップでスペースに置き、強引に打ち抜く。体は踊るように軽快に動き、ボールは真っすぐ正確な軌道を描いた。すべてが意図した通りだった。

 この瞬間、日本人で初めてW杯2大会連続の得点者となった。W杯通算でも同単独トップに立つ3点目。世界中が弾丸ゴールを見届けた。ベンチにいたドログバら相手選手もお手上げ。あきれて拍手するほどの出来栄えだった。

 港町レシフェは雨。開始からコートジボワールのサポーターが民族楽器を打ち鳴らし、会場は独特のリズムに支配された。その雰囲気を左足1本で打ち破った。

 おたけびをあげて味方に駆け寄った。ピッチ中央へ戻る際にはメーンスタンドを振り返った。目を細める。だれかを探した。一瞬の間があり指をさし親指を立てた。その先にいたのは、家族とお世話になった人たち。信じてともに歩んできた。これがひとつの答えだった。

 ずっと世界だけを見てきた。世界の舞台で活躍するイメージを持ってきた。小学校時代にプレーした大阪・摂津FCが静岡遠征に出掛けた。当時、Jリーグで圧倒的な強さを誇った磐田の練習を見学。好きな選手からサインをもらえるチャンスがあった。中山、名波、藤田…。日本代表のスター選手が勢ぞろいしていた。本田少年が並んだのはドゥンガの列だった。

 「最初は俺だけしかいなかった。みんなすごい選手だけど、俺はドゥンガと決めていた。だってブラジル代表やで」

 闘将にもらったサインが人生で唯一、他人からもらったサイン。今では思い出の品も、どこにあるか分からない。その夢を与える側になった。あこがれたドゥンガのルーツであるブラジルで「W杯優勝」を目指している。逆転負けで、先制弾もフイになった。1次リーグ突破へ最悪のスタート。唯一、本田のゴールだけが希望の光。そんな日本を救い、奮い立たせ、先頭に立って導く役目がある。

 試合後には「全員がもう一度気を引き締めて自分たちのサッカーをすることで、もっとチャンスをつくることができる」とコメントした。5月にミラノでこう言っている。「たとえばオレがケガをしてプレーできなくても、前十字(靱帯=じんたい)切ってもワールドカップに同行して優勝させるというイメージまで持っている」。この1敗で、考えが変わる男ではない。【八反誠】

 ▼W杯複数大会で得点

 本田がコートジボワール戦で1得点し、前回大会(2得点)に続くゴールを挙げた。日本代表では過去、複数大会に出場した選手は28人いるが、複数大会にわたってゴールを決めたのは本田が初めて。

 ▼コンフェデ杯と同じ会場で得点

 コンフェデ杯が翌年のW杯開催国で行われたのは01年日韓、05年ドイツ、13年ブラジルの3大会で、W杯で日本が同じ会場で試合をしたのは、02年の横浜国際競技場とこの日のレシフェ(ペルナンブコ・アリーナ)の2会場。本田は昨年のコンフェデ杯1次リーグのイタリア戦でもゴールを挙げており、同会場での得点は日本人で初めて。<南アW杯の本田ゴール>

 ◆1次リーグ・カメルーン戦(10年6月14日)

 1トップで先発し、前半39分にMF松井からの左クロスを受け、左足で先制点。「昨日が(24歳の)誕生日だったから(運を)持ってるかな」。

 ◆1次リーグ・デンマーク戦(10年6月24日)

 前半17分、右寄りの得意な位置でFKを得ると、左足で放った無回転ボールは壁を越えゴールに突き刺さった。「思ったほど喜んでいない自分がいる。目標はまだ、いくつも上。オレは優勝すると公言している」。