<AKB卒業

 大島優子の真実(上)>

 9日を最後に大島優子(25)から、「AKB48」の肩書が取れた。1人の女優として歩き出すが、ライバルだった前田敦子(22)とは、今後も「元AKB48のエース」と比較され続け、互いに意識するだろう。今日11日から掲載の短期連載「AKB48卒業

 大島優子の真実」初回では、2人の“真の関係性”を明かす。

 9日夜、AKB48劇場での卒業公演を終えると、大島のスマートフォンが震え続けた。前田からのLINEが約10通も届いた。大島は格別の思いでそれらを読み、卒業を実感した。

 関係者はささやく。「再び同じ女優の道を歩き出す。どちらが先にアカデミー賞かとか、競い合う要素はいくらでもある。自然と意識し合うでしょう」。12年3月の前田の卒業表明後、大島は「周囲に対決をあおられても、自分たちはそんなつもりが全くなかった。でも、いなくなって初めて、自分を奮い立たせる存在の大切さに気付きました」と吐露していた。

 秋元康総合プロデューサー(56)は「素人の女の子の成長過程を見守ることがAKB48」と、無垢(むく)な前田をセンターに据え続けた。一方の子役出身の大島は「常に5、6番手」で、08年「大声ダイヤモンド」では、最後方3列目の端。だが、「負けてたまるか!!

 後列でセンターより目立ってやる」と反骨心を燃やした。

 前田のライバルに押し上げてくれたのはファンだった。09年7月の第1回選抜総選挙で2位。翌10年に1位になり、ついに同格になった。エリート前田とたたき上げ大島の2人の総選挙レースが、国民的人気グループへの着火剤だった。

 同じ所属事務所で仲がいい。前田卒業の12年夏には数カ月、同居もした。「2人にしか分かり合えないことがある」と、センターの苦労を共有できる唯一の間柄でもある。8日の東京・味の素スタジアムでの卒業コンサートは、スタンドから見届けてもらった。ただ、メディアの前で並び立つことはなくなった。実は日刊スポーツも、前田との「卒業対談」をもちかけていたが、やんわり断られた。

 「私とあっちゃんに言葉は必要ないというか、もう語らなくても分かり合えちゃうんです。それに共演の夢は夢のままの方が、皆さんの想像が膨らみますよね」。続けて「女優さんは私生活を明かさないからこそ、役に真実味が出てくる。アイドル、特にAKB48は、全てをさらけ出すのが魅力なので、そこは逆なんです」とも言った。

 来るべき、銀幕や舞台での再会のため、今は熟成期間といったところだ。ただ、共演を依頼するプロデューサーや監督は、必ず出てくる。ふさわしい作品が待ち望まれる。【瀬津真也】