63年前の作品だから、もう歴史となった西部劇と言っていいだろう。「シェーン」がデジタルリマスター版となって4月9日に公開される。

 製作当時、画質を飛躍的に向上させたシネマスコープで撮られた映像は、アカデミー撮影賞に輝いている。登場人物の表情はみずみずしく、古典臭さはない。ワイオミング州の自然を映した映像は今見ても美しく、草原に点在するシンプルなオープンセットもしっくりとなじんでいる。

 ガンアクションには抑制が効いている。ヒーローは耐えに耐え、最後の最後で「0・6秒」と言われた早撃ちで悪党を倒す。

 そこまで観客を引っ張るのは流れ者のシェーンと開拓民の間に生まれる友情であり、開拓民の妻へのほのかな思いであり、彼に憧れる開拓民の1人息子とのほのぼのとした交歓だ。

 少年とのやりとりは、ガンテクニックの基本を観客に理解させる効果もある。腰からダラリと吊すのではなく、利き腕のやや前、へその横辺りにホルダーを据えるシェーンは、格好より効率に重きを置く正攻法のガンファイターなのだ、と印象付ける。

 <1>卓越した戦闘能力をひけらかすことなく<2>友情=人情に厚く<3>異性にはストイック<4>子どもに好かれ<5>そして根底には正義感がある。

 洋の東西を問わず、多くの作品に踏襲されたヒーロー像の原点がここにある。

 昨年、映画全盛期の高倉健さん(享年83)にスポットを当てた「健さんを探して」(青志社)を出版した際に、仁俠(にんきょう)映画に出ていた頃の高倉さんについて取材を重ねた。高倉さんの代名詞ともなっている人気シリーズ「日本俠客伝」のヒーローはまさに「シェーン」の図式に重なっている。

 「-俠客伝」シリーズの公開年からすれば、11年もの時を経て「シェーン」の影響を受けたことになる。

 目をむいた高倉さんの荒削りな長ドスさばきとアラン・ラッド(享年50)の洗練されたガンテクニックは対極で、どちらが留飲が下がるかと言えば間違いなく健さんのアクションである。全共闘世代の心を揺さぶり、劇場を出た男性たちが一様に肩を怒らせていたという逸話は決して大げさではない。

 では、ガンファイトだけでは下げきれない留飲はどこで下げたらいいのだろうか。アクション面で言えば、むしろ「シェーン」の見どころは2度の格闘シーンにある。悪党牧場主一味との酒場での大乱闘と、開拓民との友情ゆえの1対1の男の殴り合いである。

 テーブルやイスが見事なまでに吹き飛び、パンチはめり込んだように見え、血のりや顔の腫れ具合はリアルだ。公開当時、「新しい西部劇」と評されたこの作品では、格闘描写の暴力的な部分が一番の話題だったという。

 現代に通じる典型的なヒーロー像を構築し、抑制されたガンアクションとリアルな格闘シーンを歴史の残したこの作品は、すべてが出来過ぎだったということだろうか。その後、関係者はあまりいい目を見ていない。

 アラン・ラッドは「シェーン」のイメージが強すぎてその後、役に恵まれなかった。11年後の64年、日本で「ー俠客伝」シリーズが始まったその年に、睡眠薬とアルコールの多量摂取で亡くなっている。

 ジョージ・スティーブンス監督は3年後にジェームス・ディーンの遺作「ジャイアンツ」(63年)も撮るのだが、作品数は決して多い方ではない。65年以降に目だった活動はなく、75年に心臓発作で亡くなった。

 少年の「シェーン、カムバック!」の声に送られ、町を出るヒーローは画面手前に馬を進める。セオリーからいえば明るい将来を予感させるラストシーンである。だが、シェーンは撃ち合いで重傷を負っている。だらりと下がった左手から「死んでいる」説も出回った。

 幾多の悲劇や伝説を生んだからこその「不朽の名作」である。【相原斎】