同じ時代の空気を吸っているということなのだろうか。どちらかがまねしたという訳ではなく、映画界には似通ったテーマの作品がほぼ同時期に出現することがある。

 99年にはウォシャウスキー兄弟監督の「マトリックス」とデヴィド・クローネンバーグ監督の「イグジステンズ」が重なった。全米公開で比べると前者が3月、後者が4月。数年単位で構想を立ち上げる映画の世界ではタッチの差と言っていい。

 「マトリックス」はバーチャル・リアリティーの世界を先取りした話題作となり、シリーズ化されていくわけだが、私の場合は試写で「イグジステンス」を先に見たこともあって、寄生や近未来にこだわり続けたクローネンバーグ監督の集大成としてこちらの作品の印象が深い。

 昨年は人気コミックの映画化「脳内ポイズンベリー」とディズニー・ピクサーの「インサイド・ヘッド」が相次いで公開された。脳内の感情がキャラクターとなって登場する設定は実写とアニメ、日本と米国の違いはあっても驚くほど重なっている。

 作品製作の出発点となる発想が同じなのである。これに類する「偶然の一致」は今年もある。

 「バットマンVSスーパーマン ジャスティスの誕生」と「シビル・ウォー キャプテン★アメリカ」が公開中だ。ともに米マーベル・コミックから登場した正義の味方同士の対決であり、配給会社はワーナー・ブラザースとウォルト・ディズニーのライバル競作となっている。

 正義の味方同士の対決だから、どちらかに邪心があるということではなく、やむにやまれぬ思いの衝突である。

 従来の悪との対決で発揮した超人パワーは、結果的にビルを破壊し、山を崩してきた。そこに巻き込まれた善良な人々にも被害は及ぶ。これをやむなしとするのか、重大な過失ととるのか。罪の意識の軽重が対立の原因となっている点も一致している。

 その圧倒的パワーで周囲に破壊をもたらしがちのスパーマンやキャプテン・アメリカという「超人」に対し、もともと普通の人間が人智をこらして装備した破壊ミニマム型のバットマンやアイアンマンが闘いを挑むという図式も重なる。

 対スーパーマン特別仕様のよろいのようなバットマン・スーツは「24 シーズン8」でジャック・バウアーが元大統領の車列をたった1人で襲撃するときに身につけたフル装備のボディーアーマーをほうふつとさせる。生身の人間がいかにして超人との闘いを互角に持ち込むか-が見どころだ。

 「シビル・ウォー」にはマーベル・キャラ続々のごちそう感がある。アベンジャーズの面々に加え、スパイダーマンに新顔のアントマンまで。スパイダーマンの「糸」はどこまで超人たちに通用するのか-。最小ヒーローのアントマンが繰り出す「意外な一手」にも驚かされる。

 この競作出来は、続々映画デビューを飾るマーベル・キャラが満開の時期を迎えた証なのだろう。

 一致現象はもう一つある。ともに「あるジャンル」にはくくられたくないという立ち位置で製作されたのが大泉洋主演の「アイ・アム・ア・ヒーロー」(公開中)と米映画「ラザロ・エフェクト」(6月公開)である。

 「アイ-」は、さえない漫画アシスタントが突然襲いかかる感染パニックで、人類の存亡を掛けて闘う物語だ。謎のウイルスに感染した者は「ゾキュン」と呼ばれている。

 「ラザロ-」は仮死状態の人間を再生させる医療ミステリーだが、製作したのは「パラノーマル・アクティビティ」のブラムハウス・プロダクションだ。要はともに形を変えた「ゾンビ映画」なのだ。ブラッド・ピット主演の「ワールド・ウォーZ」(13年)辺りから、素性を隠したゾンビ映画が散見されるようになってきたが、この2作は異色ぶりの度合いを競う同時期公開となっている。

 ブームとまでは行かなくても、映画界には常に「流行」「傾向」の大波小波が立っている。【相原斎】