4月に亡くなった米歌手プリンス(享年57)には1つだけ思い出がある。

 1990年(平2)8月、東京ドームで行われた3回目の来日公演でのことだ。予定より30分遅れで始まったステージでは、いきなりキレキレのダンスを披露し、4万4000人の聴衆の歓声を浴びたのだが、実はプリンスを乗せたノース・ウエスト機が成田に到着したのはこのわずか3時間半前のことだった。

 日本側のスタッフには日本到着と会場入りの時間が知らされておらず、当日の東京ドームは朝からぴりぴりムードだった。成田着の報が会場に届いたときは一瞬ほっとした空気になったものの、間を置かずにスタッフの顔から血の気が引いていくのが分かった。サウンドチェックなどの時間を計算すると、開演は少なくとも2時間遅れとなるからだ。が、先乗りしているバンドには、プリンス抜きの準備をするように本人から指示が出されていたことが後から分かった。

 本人は会場到着から数分間でステージに立ち、機械仕掛けのように正確なパフォーマンスを見せたのだから、その集中力は超人と言っていいだろう。マドンナ(57)のようにグダグダと遅れた訳ではなく、虚弱体質を自覚し、可能な限り体力を温存する彼なりの省エネ手法だったのだろう。インタビュー嫌いの「天才」は生の声をほとんど残していないが、意外と律義な人ではなかったのかと思う。

 この夏、近年亡くなったミュージシャンのそんな「意外な素顔」を浮き彫りにするドキュメンタリー映画が集中的に公開される。

 プリンスも影響を受けた「ファンクの帝王」ジェームズ・ブラウン(享年73)の半生を振り返るのが「ミスター・ダイナマイト」(6月公開)だ。

 バイタリティーの塊のような印象があり、シャウトとシャープな踊りがすべてなようなこの人は、実はテレビ番組では相当面白い人だったようだ。音楽番組では激しすぎる踊りの末に酸欠状態の失神パフォーマンスを連発。公民権運動の先頭に立ちながら、トークショーでは同じ立ち位置のリベラルなコメンテーターの理屈っぽさに突然腹を立てる。逆にニクソン大統領の甘い言葉にすっかり共鳴し、いつの間にか応援団の一員になっている。勘で動き、理論は通用しない。

 ショー・ビジネス界一の働き者として莫大(ばくだい)な収入を得ながら、バンドマンへのギャラ先送りや未払いの事実を当のメンバーが暴露したりもする。だが、それも笑顔のインタビューであり、要は憎めない人なのだ。プロデューサーでもあるミック・ジャガー(72)もリスペクトの念をにじませる一方で、テレビ共演での強烈すぎる自己顕示欲を苦笑交じりに語っている。亡くなって間もなく10年、帝王の人間的魅力が満載だ。

 5年前に27歳の若さでなくなった英歌手エイミー・ワインハウスの毀誉褒貶(きよほうへん)をぎゅっとまとめたのが「エイミー」(7月公開)だ。

 「Rehab」がいまだに私のiPodの再生回数上位であることもあって、彼女にドラッグを教え、結果的に死に追いやる形になった元夫ブレイクには悪い印象しかない。映画の中でも「ヒモ的な存在」は明らかだが、一方でその深い関係は抜き差しならないものであり、彼無しでは名曲の数々は生まれなかっただろうこと、その愛憎が彼女の詞の系譜に恐ろしいほどリンクしていることが浮き彫りになる。

 英タブロイド紙で伝えられた激やせ、乱行…。そんな断片情報では分かりにくかった時系列が、緩やかだが、深刻な変化として伝わってくる。

 ロンドンからの中継で参加した08年のグラミー賞授賞式は、一時的にドラッグを克服した時期であり、「栄光のピーク」と言える場面だが、その直後、親友に「ドラッグの無い毎日は退屈だわ」と漏らす。悲しくむなしいエピソードだが、「惜しまれつつ」と言われながら、彼女にはこの生き方しかなかったのだ、とあらためて印象付ける。

 それにしても「27歳」というのは何なのだろう。ジミ・ヘンドリックス(70年没)ジャニス・ジョプリン(70年没)ジム・モリソン(71年没)…70年代にカリスマ的なロック歌手が相次いでその歳で亡くなったことを思い出す。

 そして、一昨年に亡くなったフラメンコ・ギタリスト、パコ・デ・ルシア(享年66)の軌跡を追ったのが「パコ・デ・ルシア 灼熱のギタリスト」(7月公開)。後年、カルロス・サンタナやチック・コリアとの共演で注目されたデ・ルシアだが、この作品はフラメンコ・ギターの成り立ちまでさかのぼってていねいにその歩みをなぞっている。

 ワインハウスも出発点はジャズ歌手。J・Bを含め、3者それぞれのルーツを持ちながら、ポップ・ミュージックのメーン・ストリームに登場したことになる。足場がしっかりしてこその強烈な個性なのだろう。【相原斎】