24日に公開される「こころに剣士を」は、バルト3国エストニアの小さな町が舞台だ。新米教師と生徒たちの心温まる実話をもとにしているが、そこには旧ソ連・スターリンの影が色濃くのし掛かっている。

 自由を封じられるだけでなく、尊厳を奪われ、気力をつぶされる。スターリン統治下の異様な重圧は、ジェフリー・アーチャーの新シリーズ「クリフトン年代記」の第5部を読んだばかりだったので、今作のディテールにもぴんと来るところが少なくなかった。「クリフトン-」には、シベリア送りとなった反骨の人、ソルジェニーツィンをモデルにしたロシア人作家が登場して、何十年も掛けて肉体と気力をそがれる極めつきの残酷が描かれている。

 「こころに-」の舞台となる50年代のエストニアは、そんなソ連に組み込まれている。小さな町にやってきた新任の教師が小学校にフェンシング部を立ち上げ、初参加のモスクワ大会で強豪校に挑戦する物語だ。すじだてそのものはシンプルなスポ根ドラマのようだが、複雑な背景が多くの「なぜ」をもたらす。

 トップレベルの技能を持った男がなぜひなびた町にやってきたのか。彼はなぜおびえたように言葉少ななのか。校長はなぜフェンシング部創設を妨害するのか…。

 いびつな歴史的背景がある。39年の独ソ不可侵条約でソ連の一部となったエストニアは、ソビエト化の窮屈さを嫌い、2年後に両国が開戦すると、むしろドイツ軍を歓迎したという。ナチス・ドイツの方がマシという支配環境はいったい何だっだのだろう。この流れでドイツ軍に参加した若者たちは、ドイツ敗戦後の再ソビエト化の中で粛正を恐れ、前歴を隠して息を潜めている。教師はそんな1人なのである。

 独自の文化を封じられ、無気力感に被われた町で、校長にブルジョア的と批判されながらファンシングは一抹の光となって子どもたちの目を輝かす。ヒロイン少女のリーサ・コッペルは広いおでこに大きな目が、そのまま純朴な田舎娘のリアリティーとなっている。

 教師役のマルト・アヴァンディ以下メーンキャストは全員がエストニア出身。目線はやや下、渇いた表情にそろって忍従のにおいを宿している。母国の暗い歴史への思いの深さが演技を越えている。

 校長の反対にもめげず、フェンシング部を全国レベルまで鍛え上げた教師だが、いざ、モスクワの大会に出場するとなると、ソ連政府の注目を集めることになってしまう。果たして前歴を隠し続けることは出来るのか…。

 詳述は避けるが、終盤にはスターリンの死という劇的な変化もあり、実話とは思えないようなドラマチックな結末を迎える。

 この映画は、希望のほのかな明かりの中で終わるが、「解放」後には本当の幸福が訪れるのか。この後日談のように現代につながる東欧のジレンマを描いているのが、元ソ連衛星国のルーマニアを舞台にした「エリザのために」(クリスティアン・ムンジウ監督、来年1月公開)だ。

 圧政は去ったが、そこは異様なコネ社会となっている。50歳になる医師は、警察署長や副市長とじっこんでコネ社会でそれなりの生活を維持している。が、1人娘にはそんな環境で育って欲しくない。西側諸国の「自由と公平」を信じ、娘の英国留学を夢みている。

 一方で、コネ社会からはみ出した人たちの心はすさみ、暴力的な犯罪が横行している。よりによって留学を決める卒業試験の直前に娘が暴漢に襲われる。精神不安定になった娘のため、試験に温情を加えてもらおうと医師はコネをフル回転させるのだが…。

 89年にかのチャウシェスク独裁体制が打倒され、医師と妻は希望に燃えて亡命先から帰国した。が、実際にはその後、民主化運動は急速に勢いを失い、たがが外れた分だけ、汚職と不正がはびこる社会になっている。それがルーマニアの現状だという。

 1歩前進、0・9歩後退…。2作を並べれば、東欧社会のもがきのようなものが浮かび上がる。

 それでも、こちらの作品も結末はほのかに明るい。暴漢事件から立ち直った娘は医師が思うよりずっと強く、コネ社会の現状にも逃げずに乗り越えようという気概をにおわせる。

 どんなにわずかでも前に歩を進めているという救いで、2作の鑑賞後には、ぽっと温まるものがあった。【相原斎】