爽快感を覚えたり、心に澱のようなものが残ったり…終映後の感覚はさまざまだが、強烈ではなくても、何かが心に引っかかる映画というのがある。いくつかのシーンが繰り返し記憶によみがえり、劇中世界に呼び戻される。

 4月8日公開の仏映画「午後8時の訪問者」はそんな作品だ。

 小さな診療所で働く女医のジェニーは、無口な患者たちの「体の声」を聞き、治療は的確だ。名医の評判は医療関係者に広がり、大病院に招かれることが決まっている。

 だが、ある日、診療時間を過ぎた午後8時のドアベルを無視したことから、助けを求めていた若い移民女性が殺されてしまう。警察署で防犯カメラの映像を見せられたジェニーは身元も分からないその女性の姿が忘れられなくなり、取りつかれたように真相究明に乗り出す…。

 スクリーンのごく一部に登場する防犯カメラの映像がきめ細かく演出されていて、被害者女性のせっぱ詰まった表情がジェニーと同じようにこちらの脳裏にも焼き付く。引っかかる。

 ジェニー役のアデル・エネルが素晴らしい。薄いメーク、必要最小限の表情の変化で「出来る医師」を実感させる。白いところの大きな目が思慮深さを印象付ける。刑事のような聴取や、勘を働かせるわけではないが、ひたすら「体の声」を聞く力で真相に迫っていく。

 ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ兄弟監督は「私生活部分は省いた」と語っている。男性の影はみじんもないし、ひそかな楽しみの類もないようだ。簡素な部屋の窓を開けて、独りタバコを吸うシーンが何度か挿入されるだけだ。

 昨年「フランス人は服を10着しか持たない」(ジェニファー・L・スコット著)がベストセラーになったが、ジェニーのクロゼットの中は、おそらく10着に満たない。全編をチェックのツイードコートで通し、紺系のパンツルックに色違いの丸首セーターを3着程度替えたのが唯一の変化である。高価に見える往診用の革製バッグとの対比で、この人が何に重きを置いているかを象徴しているのだろう。このストイック過ぎる生活も引っかかりのポイントである。

 男性患者にも親身に接し、気弱な男性研修医には必要以上と思えるくらい気を使う。が、あくまで医師、指導医の立場を守り、男女間の匂いはまったくない。魅力的な女性なのに、彼女の「捜査」を妨害する2人組ギャングの脅迫も男性に対するそれと変わらない。「ようよう、ねえちゃん」という雰囲気がまったくないのだ。

 当たる、触るだけで恋が芽生えたり、どす黒い欲望が頭をもたげるパターンにすっかり毒されていたことに改めて気付かされる。

 このところ若者向けの「胸キュン」作品がやたらに多いので色恋皆無の成り行きも逆に引っかかる。ひと昔前のヒーロー、ヒロインはこのくらいストイックでシンプルに暮らしていたことを思い出す。

 結果、ジェニーの信念が作り出すバリアーのようなものがイメージされ、余計な心の渦巻きもないから、ドアベルを無視したというわずかな過失への彼女の後悔が強調される。ダルデンヌ兄弟監督の引き算演出がこの作品を特徴付けている。長い下積みを経て名匠の位置を確保した力量が見えてくる。

 ヨーロッパの映画賞の常連にかつてはタヴィアーニ兄弟監督がいたり、「マトリックス」のウォシャウスキー兄弟(姉妹)監督がいたり…欧米には「兄弟監督」が少なくない。複数の、しかも気の置けない関係の目が、今作でも隅々まで行き届いている。【相原斎】