特殊技術の向上でSF映画の見どころが増えたり、新たな電子アイテムがスパイ映画の幅を広げる一方で、純粋なラブストーリーは描きにくい時代になったのではないかと思う。
ハンガリー映画「心と体と」(14日公開)は、久しぶりに澄み渡った心の交流が気持ちのいい作品だ。
ハンガリー・ブダペスト郊外の食肉処理場が舞台だ。肉牛の群れは一様に遠くを見るような目をしている。処理工程が淡々と細密に描写され、食べること生きることの残酷さ、ありがたさを改めて突きつけられる。
検査官の代理職員として赴任してきたマーリアはコミュニケーションが苦手で職場に溶け込めない。処理場の責任者エンドレは彼女のことを気に掛けてはいるが、うまくかみ合わない。年齢が離れている上に片手が不自由なエンドレは、彼女の若さをまぶしく感じている。
冒頭から雪の降る森林で2頭のシカがたわむれるシーンが断続的に挿入される。マーリアとエンドレが生きる現実のややこしさとは対照的に、雑味を排したすっきりとした景色だ。食肉牛と野生のシカのコントラストは嫌になるほど明解だが、ハンガリーではウシとシカは同系の動物と考えられているそうで、共通する無邪気な目が現実と幻想をつないでいる。
所内で起きた盗難事件の聴取をきっかけにこのシカのくだりがマーリアとエンドレの「夢」の中の出来事だったことが判明する。不思議なことに2人はまったく同じ夢を見、それぞれのシカとなってたわむれていたのだ。
良くある心理描写と違い、2人を診察するカウンセラーの「心理学的視点」をかませて、不思議な成り行きを裏打ちする。
この映画でベルリン映画祭金熊賞を得たイルディコー・エニェディ監督は、事件をきっかけに2人が互いの夢を認識するまでのいきさつを自然な段取りにのせて、よどみがない。
夢の中では自然に触れ合う2人だが、言葉を介する現実世界ではなかなかうまくいかない。マーリアの日常が少しずつ明かされる中で、彼女がアスペルガー症候群で、定期的に通院していることも分かる。職場でのしゃくし定規な働きぶりとコミュニケーション下手に納得がいく。
タイトルの「心と体と」は、夢と現実を対比するとともにマーリアとエンドレがそれぞれ心と体に背負っているものを象徴しているのだろう。
マーリア役のアレクサンドラ・ボルべーイ(31)はスロバキア出身。丸みのある目をシカのように純に見せる好演だ。
ハンガリーのブダペスト演劇映画大学を卒業した後、劇団で活動してきたという。この映画で、イザベル・ユぺールやジュリエット・ビノシュらそうそうたる顔ぶれを抑えて17年度ヨーロッパ映画最優秀女優賞を獲得している。知らなかっだけで、東欧にもいい女優さんはいる。
エンドレ役のゲーザ・モルチャーニ(64)は、ハンガリーでは著名な編集者だそうで、演技経験はこの作品が初めてだという。うま過ぎる。リリー・フランキーが映画に出始めた頃の驚きを思い出す。
器用な演出に演技巧者を得て、思わず肯く結末まで、文字通り心を洗われる作品だ。【相原斎】
- 「心と体と」の1場面 2017 (C) INFORG - M&M FILM