マテリアル・ガール、マドンナが16日に還暦を迎えました。60歳になってもなおポップ界のアイコンとして第一線で活躍し、プライベートでは6人の子供の母親として多忙を極めながらも、27歳年下のモデルと交際中。公私共にパワフルなスーパーウーマン、マドンナの半生を振り返ってみました。

 1958年に中西部ミシガン州で8人きょうだいの3番目として生まれたマドンナは、幼い頃に母親を亡くし、父親が再婚した継母とは折り合いが悪かったといわれています。大学を中退したマドンナは77年にわずか35ドルを手に「有名になる」という夢を秘めて単身ニューヨークに移住。アルバイトをしながらダンスレッスンを受け、ダンサーとしてのキャリアをスタートさせた後、82年にデビュー。84年に「ライク・ア・ヴァージン」が大ヒットして一躍スターとなったマドンナは、過激なパフォーマンスやファッションでセックスシンボルとして人気を確立。一方の私生活では、85年にショーン・ペンと結婚するも結婚生活はわずか4年ほどしか続きませんでした。

 96年に当時の恋人だったパーソナル・トレーナーのカルロス・レオンとの間に長女ローデスをもうけて未婚の母となったマドンナは、00年に再婚した映画監督のガイ・リッチーとの間に長男ロッコを出産。08年に離婚したリッチー監督とは、16歳になった息子の親権を巡って骨肉の争いを繰り広げてメディアをにぎわせました。マドンナの厳しすぎるしつけが原因で父親が暮らすロンドンからアメリカに戻ることを拒否したロッコとは不仲な時期もありましたが、現在は関係を修復して家族揃って旅行に出かけるなど仲睦まじい様子をSNSで公開しています。

 慈善活動にも熱心なマドンナは、アフリカのマラウイ共和国から4人の子供を養子に迎え、現在はシングルマザーとして子育てに奮闘しています。60歳の誕生日を記念して子供たちの生まれ故郷であるマラウイの貧困に苦しむ子供たちを支援するための寄付を募っており、ファンに誕生祝いに同国への支援を呼び掛けています。昨年は同地に次女の名前にちなみマーシー・ジェームズ小児病院を開院するなどの支援にも取り組んでおり、マドンナの活動によってマラウイの現状がメディアによって伝えられるようになったともいわれています。

 そんなマラウイからの養子である次男デイヴィッド君が、プロのサッカー選手を目指してポルトガルのサッカーチーム「ベンフィカ」のユースアカデミー入りしたのを機に次女のマーシーちゃん、昨年新たに養子に迎えた5歳になる双子の姉妹を連れてポルトガルに移住。現在は首都リスボンでサッカーママとして息子のサポートに精を出していることをインタビューで明かしています。 一方で、恋多き女性として知られるマドンナは、これまでも数々のイケメン年下男性と浮名を流してきましたが、現在はミュージックビデオに出演したことがきっかけで出会った31歳のモデルと真剣交際しています。

 ポップスターとして不動の地位を築いたマドンナは、85年には女優業にも挑戦。「マドンナのスーザンを探して」でスクリーンデビューを果たし、96年にはミュージカル映画「エビータ」で見事にゴールデン・グローブ賞主演女優賞を受賞。そして50歳の時には、映画製作にもチャレンジし、自ら監督・脚本・製作総指揮を務めた「ワンダーラスト」で監督デビューを果たしました。60歳になった現在は、元戦争孤児で現在は世界的なバレリーナとして活躍するミケーラ・デプリンスの半生を描く映画「テイキング・フライト」を製作中で、7年ぶりとなるメガホンをとることで注目を集めています。

 60歳になってもなお第一線で輝き続ける秘訣は、時代と共に闘う妥協しない強さにあるのかもしれません。常に時代の一歩先を歩んできたマドンナが、これから先どんなパフォーマンスを見せてくれるのかまだまだ楽しみです。

【千歳香奈子】(ニッカンスポーツ・コム/芸能コラム「ハリウッド直送便」)