4月23日に急死した落語家三遊亭円歌さんが嘆いていたことがあった。

 「円歌になって40年以上たつけど、まだ『歌奴(うたやっこ)』と呼ぶ人がいるんだよ。嫌になっちゃうよ」

 円歌さんは1948年の二つ目昇進で歌奴と改名。58年に真打ち昇進し、70年に3代目円歌を襲名した。

 歌奴時代は22年、円歌になってから倍以上の47年も経過したが、歌奴時代の活躍ぶりがあまりに強烈だった。

 60年代の落語ブームでは「山のあな、あな」のフレーズで知られる「授業中」で初代林家三平と「爆笑落語」をけん引した。テレビに出まくり、歌奴は全国の人に親しまれた。いまだに「歌奴」と呼ばれることがあるのも、人気者の「勲章」でもある。

 今や、国民的演芸番組になった「笑点」にも、69年11月から大喜利のレギュラーになったが、あまりに忙しすぎて、休演が重なり、7カ月後の70年6月に降板した。その年の9月に円歌を襲名した。ちなみに円歌さんに代わって再登場したのが、先代三遊亭円楽だった。

 円歌さんは、落語のタブーを破る進取の気性も持っていた。高座でめがねをかける、黒紋付きではなく色紋付きで高座に上がるなど、これまではやってはいけないとされたことに挑んだ。極め付きが女性落語家の誕生だった。

 円歌さんのもとに80年にあす歌(現小円歌)、81年に三遊亭歌る多が入門した。小円歌は三味線漫談で活躍し、今年秋に三味線の名手だった大名跡を継承し、「2代目立花家橘之助」襲名が決まっている。歌る多も93年に落語協会初の女真打ちに昇進した。

 当時、「なぜ女性を入門させるのか」と批判もあったが、円歌さんは「もうそういう時代じゃない」と抑え込んだ。96年から06年まで落語協会の会長を務めたが、02年に「女真打ち」として、男の真打ちとは別扱いされた点を改め、通常の真打ちと同じ扱いに変更した。今では女性落語家は20人を超えている。

 現会長の柳亭市馬は弔辞で「めがねをかけての高座や、女性を弟子に取るなど、とても風当たりが強かったと思いますが、信念を曲げず意志を貫き通し、今は何でもない当たり前のことにしてくださいました。その功績は大勢のお客様を笑わせた功績とともに、もっと評価されてしかるべきだと思います」と言及した。円歌さんは会長としても大いなる実績を残した。【林尚之】