関西のしゃべくり女王、上沼恵美子(61)が先日、自身のラジオで号泣。10秒近くに渡り、おえつを漏らすだけで、放送事故か? と思うほど沈痛な空気が流れた。上沼は今月6日に亡くなった京唄子さん(享年89)への思いを語るうち、言葉が続かなくなったのだ。

 その理由は、自身が若き日に遭った陰湿ないじめと、唄子さんへの感謝からだった。「京唄子さんは芸能界のお母さん、ほんま。京さんがいなければ、今の私はない。絶対ない」。放送終了後、落ち着きを取り戻した上沼は、直撃すると照れながらもきっちりと取材対応。その理由を語った。

 上沼は、70年代初期に「海原千里・万里」として、女しゃべくり漫才コンビとして大活躍。77年に関西テレビのディレクター(当時)だった上沼真平氏と結婚。出産を控え「芸能界引退」を公言し、芸能界からしばし離れていた。

 ところが、79年にNHK連続テレビ小説「鮎のうた」への出演依頼が届いた。花登筐作品でヒロインが山咲千里。「千里つながりで出演の依頼をいただいた」ため出演を決めた。

 すると収録現場で共演者、果ては後輩までが「この世界辞めたんちゃうんか? すっこんでろ」などと口々に言ってきた。

 「わざと聞こえるように、壁越しにも聞こえるぐらいでかい声で、辞めてまえ、帰ってくんな。漫才はやらんけど、芝居はするんか? なんて、私がおる間は、ずっと言うてんねん」

 NHKの職員、スタッフが来ると、その嫌がらせ発言はピタリとやむが、いなくなるとまた始まる。その繰り返しだった。

 「あのときのこと、ばっちり覚えてますよ。誰1人助けてくれへんかった」

 その後、唄子さんが途中から収録に入ってきた。唄子さんといえば、鳳啓助さんとの夫婦漫才で、上方演芸界のシンボル的存在でもあった。その唄子さんがあえて大きな声で、出演者全員に聞こえるように言った。「いや~、もう、えみちゃん! あんた、大阪の宝やで」。絶対的存在の唄子さんが、上沼の復帰を歓迎したことで、いじめはピタリとやんだ。

 唄子さんはまた、「旦那さんも業界やろ。大阪の宝を自分の物だけにするやなんて! 旦那さんにも言うわ」と言い、上沼の夫にも引退を撤回させるよう迫り、上沼はここまで芸能活動を継続させるに至った。

 先輩も後輩も皆、ライバル。公然と足の引っ張り合いも行われていた時代。皆が必死になって、仕事を奪い合っていた当時の関西芸能界において、ライバルを支援する唄子さんの懐の広さは異色だった。

 上沼は「とくに女同士、はっきりとしたライバルやんか。皆が仕事を奪い合う中で、そりゃあ、いろいろあった。でも、あの方だけは、私らの次元からはもっと上、天空の人、“神”やった」とも話した。

 唄子さんは、上沼が「神」とあがめる大きな存在だった。上沼は最近、母を亡くし、昨年は長年付き添ってくれたマネジャーが病気退職。孤独感を募らせる中での「神」の訃報。「せやから私、もう、つっかえ棒(支え)がないねん。ほんま1人やわ、私…」。ポロリ漏らした上沼の言葉に、穴の大きさを感じた。【村上久美子】