あの人の教えがあったからこそ今がある。北海道にゆかりある著名人たちの、転機となった師との出会いや言葉に焦点をあてた「私の恩師」。物まねで人気のタレント岩本恭生(63=札幌市出身)は、沢田研二や布施明など豊富なレパートリーでお茶の間を楽しませている。札幌工高工芸科時代の担任で、現在は造形作家として活動している渡辺信氏(80)から手ほどきを受けた美術の絵心をいかし、物まねメークなどの努力を積み重ねて活躍の場を広げてきた。今も同窓会の席で語り合う先生の授業を思い返した。

 渡辺先生は2年、3年と担任でした。今も芸術家として活躍していますよ。美術の専門だったので、そのとき絵を描いたり模写を勉強したんです。鉛筆で白黒で描いたりね。自分の手を模写したりしました。友人の似顔絵を描いたりもしましたね。

 いろんな技法を基本から学びました。バランス、線1つ1つの強い、弱い、濃い、薄い。それを習ったことが自分の人生の中で大きかった。何を飾り付けするにもバランスだとか色合いだとか、絵心がすごく大事。まさか、それが自分の物まねという仕事につながるなんてね。

 最近はテレビ局のメークさんがやったりするんだけど、僕らの時代は自分で考えてメークして、何とか似せる努力をしたのね。自分の顔をキャンバスのように、本人に似て見えるように。例えば和田アキ子さんだったら、当時は付けまつげをいっぱい付けたりだったんだけど、そういう誰もがやっているアッコさんは嫌だなって。そっくりにメークしてカツラをかぶって「あれ? これ似てるー!」みたいな。そこから歌を練習していくんです。独学ですよね。

 メークはやはり絵心がないと。本人の顔そっくりに似せて作っていくというのが基本だから、高校のときに身についた観察力、洞察力が役に立っていますね。絵は平面だけど、彫刻を作れば立体的になる。デッサンは白黒だけど、油絵を描けばカラーになる。あとは自分がどう映って見えるか、観察力が育て上げられた。それが今の物まねで開花したかな? って。

 僕は忘れていたんだけど、高校のとき友達とブルー・コメッツの物まねをしていたらしいんです。同窓会で友人たちに「岩野(本名)君、休み時間にやっていたよね」って言われて。ビックリしたよ。先生に教わったことと休み時間の物まねがリンクして、約20年後に答えが出たのかもしれない。実を結んだのかなぁ。

 50歳になったとき、五十の手習いで絵画を描き始めたんです。自分は辰(たつ)年だから龍の絵です。同窓会のとき先生に見せたんだけど、すごい褒められてね。学生のとき、そんなに褒められたことなかったんだけどね。でも適当にヨイショはしてくれた。美術への意識をそがないような指導をしてくれたかな。

 今でも覚えていることがあります。屋上で友人と悪いことをやっているのが見つかってね。キ・ツ・エ・ン。7、8人整列させられて、鉄拳制裁。ひとり1発ずつ殴られていってね。でも、自分の中で勝手に良く解釈しているんですけど、僕のときは少し柔らかかった。パンチ力を緩めてくれてね。あっ、最後の方だったから手が痛くて他のやつらより軽くなってくれただけだったのかな。その当時、先生は絵心と人としての優しさみたいなものを教えてくれたと思います。【取材・構成=井上学】

 渡辺氏 岩野君(岩本の本名)は活動的でしたよ。性格がいい。本音でぴしっとしゃべる。裏がなかった。デッサンはうまかったですよ。今、テレビに出てるでしょ。ダジャレを言うタイミングもうまい。クラス会のとき他の生徒に「岩野君とばかり話していないで、みんなと話をしなきゃ」なんて言われます。そういう子なんです。何となく話しかけてあげたいというか親しみがあるというか。学生時代からそうでした。芸能界にいるってことで写真をもらったこともあるんだけど、飲みに行ったときバーの女の子に「こういうの俺の教え子にいるんだよ」なんて自慢したこともありましたよ。(造形作家、札幌市の12年度札幌芸術賞受賞)

 ◆岩本恭生(いわもと・きょうせい)本名・岩野恭一(やすかず)。1952年(昭27)4月3日、札幌市生まれ。札幌工高時代はボクシング部。89年10月、フジテレビ系「第21回オールスターものまね王座決定戦」で初出場初優勝し本格的にプロデビューを果たす。バラエティー番組だけでなく映画やドラマ、ミュージカル、コンサートなど活動の場を広げる。現在、UHB「みんなのテレビ」(月~金曜、午後3時50分)にゲストコメンテーターとして出演中。