28日、宮内正喜氏(73=BSフジ社長)がフジテレビ新社長に就任し、新体制がスタートする。視聴率民放4位の大低迷が続く中、先ごろ行った会見では、復活のキーワードに「河田町の大部屋時代」を挙げた。当時を知る者としては旗印が分かりやすく、今後の手腕に興味も沸く。

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 「河田町時代」とは、フジテレビ本社が新宿区河田町にあった97年までのこと。12年連続で年間視聴率3冠王を独走した第1次黄金期(82~93年)の舞台でもあった。「楽しくなければテレビじゃない」の社風がバブル経済と相性がよく、オリジナリティーあふれるヒット作がバンバン生まれ、流行を先導するリーディングカンパニーだった。

 宮内氏は、当時と比べて「組織の風通しが悪い」とし、「会社の雰囲気と社員の士気を上げることが第一」と話した。

 実際、V12時代の河田町フジテレビの風通しは抜群だったと思う。私が見たのはV12の後半のほう。古くて迷路のような社屋だったけれど、タレントの売り込みに来た事務所関係者やら、ネタを探しに来た紙媒体の同業者やら、とにかく常に人がいる。情報交差点のような活気はまさに「大部屋」だった。

 制作現場も活気があった。平均年齢30歳以下の若手ディレクター10人くらいに年間数十億円の予算を任せ、深夜枠から業界に革命を起こしていた。深夜といえばお色気と映画ばかりだった時代に、80年代カルチャーを東西の歴史にこじつけて解説する「カノッサの屈辱」や、懐かしいヒット曲をただ流すだけの「19××」、マニアックすぎるクイズ番組「カルトQ」など、見たこともない切り口の傑作番組がいくつも生まれた。

 活気に引き寄せられ、新興の制作会社や脚本家など新しい才能が続々と集まっていた。三谷幸喜を発掘した「やっぱり猫が好き」や、飯田譲治の「NIGHT HEAD」に衝撃を受けなかったテレビマンはいないと思う。「カノッサの屈辱」の仲谷昇、映画の制作技法を紹介する「アメリカの夜」の宝田明、貴婦人が短編コレクションで客をもてなす「そっとテロリスト」の岸田今日子など、演劇界の大物をバラエティー番組の顔として起用する挑戦も当たっていた。

 守りに入らないよう、深夜チーフなどは1年交代で、千本ノックのように企画を出していた。当時書いた記事をいくつか読み返すと、番組責任者として取材を受けているのが20代の若手ばかりで驚かされる。自信とハッタリを原動力に、フロンティア精神がみなぎっていた。

 台場移転後も、04年から10年まで、7年連続3冠王の第2次黄金期を築いているが、この時はもうすっかり巨大企業の貫禄。大部屋というより、きれいに区画されたエリート空間という雰囲気になった。視聴者とのズレが伝えられ始めた11年に3冠王から陥落すると、そのまま後退。ここ数年は民放4位から抜け出せずにいる。

 亀山千広社長は「豪腕が傲慢に変わってきたのかも」と危機感を語っていたが、大企業病みたいなものは、宮内氏も感じていたようだ。この10年、系列局社長、BSフジ社長として外からフジテレビを見てきて「何かをお願いしてもなかなか返事が来ず、窓口として誰が判断するのか分からない」。身内が感じるほどの違和感や距離感は、視聴者にも伝わるのだと思う。「大部屋時代の活気やコミュニケーションが復活すれば、必ず番組に活気がわき、いい企画が生まれる」。21局3室にまで細分化されていた部署を14局4室にスリム化し、組織の風通しから意識改革を始めるという。

 亀山社長が話題豊富でストレートに思いを語る人だっただけに、会見では宮内氏のキャラクターに注目が集まった。73歳という年齢がクローズアップされがちだが、よく通る声で押し出しが強く、率直に意見を述べるタフな人という印象だった。「私の使命は、低迷する業績を上げるという一点に尽きる。新しい考え方が必要と思っている」。悩めるフジテレビをどうかじ取りするのか、注目したい。

【梅田恵子】(ニッカンスポーツ・コム/芸能記者コラム「梅ちゃんねる」)