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建築家の黒川紀章さんが死去

7月の参院選開票速報で険しい表情を浮かべる黒川紀章氏(撮影・為田聡史)
7月の参院選開票速報で険しい表情を浮かべる黒川紀章氏(撮影・為田聡史)

 日本の代表的な建築家として国際的に活躍した黒川紀章(くろかわ・きしょう)さんが12日午前8時42分、心不全のため東京都新宿区の東京女子医大病院で死去した。73歳。名古屋市出身。葬儀は近親者のみで行う。喪主は未定。妻は女優の若尾文子さん。

 4月の東京都知事選に立候補したが落選。自ら「共生新党」を設立して挑んだ7月の参院選でも、再び落選した。選挙期間中から体調を崩していたという。

 京大建築学科を卒業後、東大大学院で丹下健三氏に師事。20代で頭角を現し、大学院在籍中の1960年、有機的に代謝・成長する新たな都市像を提唱する思想集団「メタボリズム・グループ」を菊竹清訓氏らと結成した。その思想に基づく中銀カプセルタワービル(東京)は広く知られる。

 作品は国立新美術館(東京)、国立民族学博物館、国立文楽劇場(ともに大阪)など国内各地のほか、海外もゴッホ美術館新館(アムステルダム)など20カ国以上に。カザフスタンの新首都アスタナ、中国・鄭州などの都市計画も手掛けた。

 時代を象徴する都市論、文化論に関心を寄せ、著作は「共生の思想」「都市デザイン」など多数。「生命の時代」「共生」などの言葉で、近未来像を先駆的に論じた。

 80年代以降は、若尾さんとの再婚で話題を呼んだほか「日本文化デザイン会議」をけん引するなど、広範に活動。近年は政治に意欲を示した。

 フランス建築アカデミーゴールドメダルをはじめ、内外で受賞多数。英米やドイツ、フランスの建築家協会で名誉会員などに選ばれた。98年日本芸術院会員、06年文化功労者。

 建築家の黒川雅之・金沢美術工芸大教授は実弟。

[2007年10月12日20時50分]

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