博識で勉強熱心で知られた桂米朝さん。時には時事問題にも言及した“落語博士”の生涯を、折々の発言からたどった。

 「現代では、形の決まった古典落語でさえ、工夫しなければ客に受けない」「大阪ではほかに(古典の)復活を手掛ける人がいないので私がやらななりません。若手と、いいお客の両方を育てなくては、未来が暗いです」(1967年のインタビュー)

 「すべて味わいは、十分な説明をしないで相手にわからせた時の方が、味が良いものです」「人との応対や、折目切目(おりめきりめ)の挨拶のしかた、さまざまな場合の人への対し方…(中略)落語は人生の百科事典であるとも言えましょう」(75年出版「落語と私」から)

 「落語は(客層などで噺(はなし)が微妙に変わる)一期一会の芸。体力も衰えてくるだろうが、勝負の仕方はある」(92年、67歳で)

 「つらいことはあったが、やめようと思ったことは一度もなかった。簡単なしぐさでドラマのような世界に客を案内することができたときは、うれしい」(96年、柳家小さんさんに次ぎ落語界で2人目の人間国宝に認定されて)

 「ちょっと寂しくなってくんやないかな。10代のころから一緒に勉強会をしていたから…。もう古いところは私と春団治だけになってしまいました」(05年、上方落語復興に尽くした盟友、五代目桂文枝さん死去の報を受けて)

 「落語以外のことは何も知らんのに。ほかに何もできませんので、これ一筋にやるしかなく今日までやって来た。それがよかったんでしょう」(09年、文化勲章受章の際)

 「いっぱい来ていただきまして、それだけで胸がいっぱいです」(13年1月2日、最後の舞台となった「米朝一門会」。満員の客席に向かい)