故桂米朝さん(享年89)の通夜、葬儀・告別式にはのべ2700人以上が駆けつけた。葬儀から一夜明けた26日、大阪市福島区のABCテレビで特番「ありがとう米朝師匠~ざこば・米団治想い出がたり~」が収録され、27日午前9時55分から放送される。

 番組では、上方落語を復興させ、人間国宝にまで認定された米朝さんでも弟子に嫉妬。そんな1人の男としての素顔が語られた。

 特番には、前日に葬儀を終えたばかりで、喪主を務めた長男の桂米団治(56)、70人以上を抱える一門筆頭弟子の桂ざこば(67)が出演。スタジオには愛用バックや整髪料、往年の出演番組の台本、若き日の米朝さんの写真などが並べられた。

 米団治は、通夜、葬儀を「変な盛り上がりでしたね。すごい大きな落語会を見ているようでした」と振り返った。上方演芸史に大きな足跡を残した父の偉大さをあらためて感じた様子。一方で、父が、3番目の弟子で「天才」と称された故桂枝雀さん(享年59)へ抱いた嫉妬心に驚いたことを告白した。

 「ちょうど、ホール落語を満杯にして世間を驚かせた米朝が、ちょっと人気が下がり気味で、枝雀兄ちゃんの人気がうなぎ上り。あのころ『なんであんな芸がウケんねや…』と。あれだけやってきはった人がね。それでも人の子であり、芸人やねんな。落語家はみな、ライバルなんやと思いましたね」

 米朝さんは没落寸前だった上方落語を復興させ、全国落語家に先駆けて、ホールでの落語会を始め、興行としての落語会を根付かせ、全国ツアーにまで発展させた。弟子の枝雀さんも、大きなパフォーマンスと卓越した表現力、天才的な話術でブレーク。着実に看板を大きくしていた80年代とみられる。

 米朝さんは当時、60歳前で、かたや弟子は育ち盛り。それでもライバル心は存在し、米団治は芸の世界の奥深さを見たという。

 一方で、ざこばは「師匠は、うちの一門に辞めたやつがおらんのは『ちょっと自慢や』言うてはった」と言い、プライドを感じた。

 米団治、ざこばによると、笑福亭鶴瓶が通夜の前日に弔問に訪れ、鶴瓶は米朝一門の結束力について触れ、70人以上にふくらんだ一門で、辞めた人間がいないことを称賛したという。

 ざこばは「そやねん。うちは誰も辞めてないからな。僕には『(内弟子で)1年、2年みて、向いてない思うたら、辞めてくれ言うからな』言いはった。他の弟子は知らんけど、おそらく採用するまでに、よう吟味してはったと思う」。

 最古参弟子になった月亭可朝は、以前は桂小米朝を名乗っていたが、自ら「月亭」を立ち上げても、師弟関係は最後まで変わらなかった。ざこばは、師匠の眼力に感服しつつ、結束力の原点を明かした。

 また、酒好き、健啖(けんたん)家としての素顔も明かされ、米団治は「米朝は死生観が独特なんです」。99年、兄弟子で盟友でもあった桂米之助さんが亡くなったとき、レストランで注文しようとしていた米朝さんに、米団治が訃報を伝えた。

 すると、米朝さんは「えーーっ、えっちゃん(米之助)がっ!」と、辺りはばからず驚きの声をあげたが、即座に気持ちを切り替え「サイコロステーキ、いうて注文してた」そうだ。

 息子も驚く切り替えの早さ。それは「人間は生きてても死んでも一緒。魂は同じや」との米朝さん独特の死生観からきたようだ。