喉頭がんで療養中の音楽プロデューサーつんく♂(46)が4日、声を失ったことを明かした。プロデューサーを務める近大(大阪・東大阪市)の入学式に出席し、声帯を摘出する手術を受けたことを発表。母校の後輩に「一番大事にしてきた声を捨て、生きる道を選びました」と伝えた。

 つんく♂がギターを弾き、口を大きく動かした。「近畿、近畿、近畿大学!」。体を折り曲げ、母校の校歌を叫んでいるようだった。声なき声…。大先輩の強い思いは、約7000人の新入生に届いていた。

 衝撃の告白だった。入学式のプロデュースを担当し、ステージ中央に立つと、大型スクリーンに祝辞メッセージが流れた。約1分が経過したときだった。

 「なぜ、今、私は声にして祝辞を読みあげることが出来ないのか……。それは、私が声帯を摘出したからです」

 一瞬にして会場は静まり返り、後輩たちはスクリーンの活字に目をこらした。黒の上下のスーツ、首には白いストール、つんく♂のメッセージは続いた。

 「去年から喉の治療をしてきていましたが、結果的に癌(がん)が治りきらず、摘出するより他なかったから、一番大事にしてきた声を捨て、生きる道を選びました」

 昨年2月に喉頭がんが見つかり、その後、「完全寛解した」と発表したが、昨年10月、声帯の検査でがんが見つかったことを公表していた。式典後には自身のブログを更新し、経過も明かした。昨年10月中旬に声帯を全摘出し、同月末に退院。今年1月中旬からはキックボクシングも始めたと報告した。所属事務所によると、作詞、作曲など仕事も再開しているという。

 声帯摘出後、「今年も近畿大学の入学式のプロデュースをお願いしたい!」と依頼され、全力を尽くすことを決意した。式典のテーマ「Break through」(固定観念をぶっつぶせ)も提案した。がん公表から約1年2カ月、取材には応じず、声を失ったことも隠し通した。そして、この日に全てを明かした理由を関係者は「地元、母校で人生を再出発したかったからでは」と推測した。

 「私も声を失って歩き始めたばかりの1回生。皆さんに負けないように、新しい人生を進んでいきます!」

 「シングルベッド」「ズルい女」…。バンド、シャ乱Qのボーカルとして親しまれたあの声はもう生では聴けない。だが、つんく♂は「生きる」ことを選択し、前向きに音楽を続ける。【松浦隆司】

 ◆つんく♂ 本名・寺田光男(てらだ・みつお)。1968年(昭43)10月29日、大阪府生まれ。近大在学中の88年にシャ乱Qを結成し、ボーカルを担当。92年に「18ケ月」でデビュー。「上京物語」「シングルベッド」「ズルい女」「いいわけ」などが大ヒット。97年のテレビ東京系「ASAYAN」でモーニング娘。のプロデュースを開始。ハロー!プロジェクトを立ち上げた。作詞、作曲で年間約100曲を作り上げる。家族は12歳下の加奈子夫人、6歳の長男、長女(二卵性双生児)、4歳の次女。血液型B。