「八日目の蝉」「紙の月」などで知られる作家角田光代氏(48)は早大文学部在学中に、忌野清志郎さん(享年58)に魂を打ち抜かれた。RCサクセションが76年に発表した「やさしさ」を聴いて、その後、使えなくなった言葉があった。

 角田 「優しい」という言葉の偽善性を指摘されていました。小さな染みのように付いてるウソくささ。誰もが簡単に使う分、裏にずるさも潜む感じ。それに気づかされ、小説で使うのを諦めて、代わりに「親切」「人当たりが良い」という表現にしていました。最近、とらわれすぎていたかなと思えてようやく使えるようになりました。

 エッセー「これからはあるくのだ」でも触れた名曲「スローバラード」を例に出した。

 角田 「市営グラウンド」「駐車場」「毛布」といった日常の言葉って全然かっこよくなくて、文字面だけなら1つも憧れない。それが清志郎の悲しみを感じさせる歌声で聴くと全てが光り出す。すごくリアルでロマンチックになる。最後の「悪い予感のかけらもないさ」からは、幸福と悲しみの両極までが感じられました。

 いとしさも涙も嫉妬も汚さも美しさも、それらを乗せて時が過ぎる残酷さも全て詰まった歌と感じた。

 角田 「ダーリン・ミシン」ではコーデュロイではなく「赤いコールテンのズボン」。ダサい言葉を最高にかっこよくしちゃう。そんな人はいませんでした。小説家を目指す私に「気取った言葉じゃなく等身大の言葉で勝負しろ。何でもない言葉に力を与えるのは自分で、かっこつけるのはかっこ悪いこと」と教えてくれました。

 清志郎さんと交友はなかった。

 角田 ラストアルバム「激しい雨」を聴くと泣けるんです。「RCサクセションが流れてる」の歌詞に、あらためて「自分はずっとRCの歌の中で生きてきた」って再確認します。今でこそ清志郎は多くで語られてますけど、当時からマイナーでした。RC好きを公言したら、男の子にまゆをひそめられましたから。でも、今の私の周りは清志郎ファンだらけ。ゆっくり自然と趣味の合う人で集まったんですね。これが大人になったってことなのかもしれません。

 日本語ロックの先人といわれ、反核や反戦も掲げた人だった。表現者として前衛的であり泥くさくもあった。個々に理由はさまざまあれど、文化人にはことのほかファンが多い。【瀬津真也】(終わり)