史上初の「芸人芥川賞作家」が誕生した。第153回芥川賞・直木賞の選考会が16日、東京・築地の料亭新喜楽で行われ、お笑いコンビ、ピースの又吉直樹(35)の本格小説デビュー作「火花」が受賞した。

 又吉が、受賞直後に恩師に電話を入れていた。16日午後7時39分、関大北陽高サッカー部の恩師、野々村征武氏(72)に電話を入れ、「何とかやりました」と伝えていた。野々村氏は、感無量の表情で「泣かすなよ…」と声を絞り出した。大阪府摂津市内で、サッカー部の先輩が経営する焼き肉店「薩摩」には、野々村氏、先輩らが集まり、快挙を祝福した。

 野々村氏は、愛弟子からの電話着信に感極まった。午後7時28分、又吉から着信を受けそびれた野々村氏だったが、又吉は「真っ先に恩師へ」の思いで、同39分に再び電話。「何とかやりました」と受賞を報告し、野々村氏はバンザイを繰り返した。「あいつ、オレから褒め言葉、聞いたことないと思うけど、初めて褒めてやりました」。

 又吉は高校時代、左ウイングバックで、大阪府代表としてインターハイにも出場した。1年春の入学当初、野々村氏は「ほっそいな」と思ったが、体力測定で抜群の走力を発揮したこと、発達したふくらはぎと、レフティーだったことに、期待を高めていた。

 「今でいう長友(佑都)みたいな動きをしていました」。3年時に「大学でもサッカーをやってほしい」と進学を勧めたが、又吉は「家業の水道業を継ぐ」と告げて断った。このとき既に、又吉は、東京NSC(吉本総合芸能学院)に進むと決めていた。

 1、2年時の担任だった鈴木和宏教諭(63)、3年時の担任だった石神賢一教諭(48)も、又吉の芸人志望を知らなかった。石神教諭は「休み時間は文学の本ばかり読んでいた。異質な生徒やった」。教室で前の席に座っていたA君に話し掛けられた又吉が応じ、石神教諭は2人を注意することが多かった。「1学期によう注意したから、見返したろう思うたんかね。2学期は全教科でクラス1番の成績やった」。文化祭のコントのシナリオは、いつも又吉が担当し、級友の信頼は厚かった。

 そして、野々村氏、両教諭は「有名になっても、全く偉そぶらん」と声をそろえた。昨年2月、鈴木教諭の退職祝いの集まりにも、又吉は大雪の中、東京から駆けつけ、名古屋で仕事を終えた今年6月28日には、大阪まで移動し、野々村氏と食事をしながら6時間ほど話し込んでいた。「サッカーの話ばかりで芥川賞の話はあまり。プレッシャーがあったんやろうな」と恩師は思いやった。【村上久美子】