志村けん(65)の母で、23日に亡くなった志村和子さん(しむら・かずこ=享年96)の通夜が27日、地元の東京都東村山市で営まれた。志村は通夜後、取材陣の囲み取材に応じた。

 -亡くなった当時の状況は

 志村けん 仕事が終わって、0時半頃病院について、1時ちょっと前までいたんですけど、本番が終わって疲れちゃって、ちょっと休めって言われて、帰ってすぐ(亡くなった)前から意識もなかったんでね。

 -最後に話ができたのは?

 志村けん (9月に)入院してから何回も来てるんだけど、僕が来ている時は、ほとんど会話ができない状態。僕がいない時には回復して、会話もした。名前を言ったら、分かったらしい。僕が行った時は、耳元で「来たよ」って言ったら、うなずくような反応がありました。

 -和子さんの病状は?

 志村けん 詳しくは聞いていないですけど、熱が出て…元は肺炎で入院して、いろいろ調べたら、肺炎が原因であちこちの内臓が弱っていると。

 -最後に肉声で会話できたのは?

 志村けん 8月の舞台「志村魂」に来たのが、普通にしゃべった最後ですね。「大変だね」って言うから「大丈夫。大丈夫か?」という、そういう会話ですね。

 -どういうお母さんだった?

 志村けん 基本、笑うことが大好き。

 -お母さんに言いたいことは

 志村けん 基本的に、ありがとうしかない。生んでくれたことに…。正月、家に帰ると(母が)いつもは9時くらいに寝るのに(深夜)1時くらいまで起きてる。2人きりになると「どう? 大変かい?」と言う。言って良いか分からないけれど。(母が)受けようと、おならしてクスクス笑うこともあった。

 -結婚を待ち望んでいたのでは?

 志村けん 「孫の顔が見たい」と言っていた。それだけが残念。正月に帰る度に「誰かいないのかい?」と毎回言う。何人か(の女性)は、おふくろに会わせたりした…でも、うまくいかず。付き合ってるよと言ったら、喜んでいたけど、うまくいかなかった。ダメになったら、お互い(それ以上は)言わない。

 -お母さんとはテレビで共演もした

 志村けん 恥ずかしがるけど、テレビに出たがりで、出たのを何回も見ていた。1回「バカ殿様」で、すごい若い女性とベッドインすると、そこにおふくろがいる(ネタをやって)恥ずかしかった。

 -お母さんに言われて覚えている言葉は

 志村けん 「酒飲みすぎるな、体を大事にしろよ」と。よく言われた。酒はやめられない。楽しいことが好きな、おふくろの血を、僕は引いたと思う。お客さんを笑わせるのが、うれしかった。芸事の好きな、おふくろの血を引いたと感じるから。

 -お母さんに1番言いたいこと

 志村けん ゆっくり休んで…お疲れさまと。96ですからね。幸せな一生になったかと思う。子供が僕じゃなきゃ、味わえないこともあったと思う。

 この日は笑福亭鶴瓶、南野陽子、桑野信義、肥後克広ら600人が弔問に訪れた。祭壇に飾られた和子さんの遺影は、6年前に志村と鶴瓶と出演した正月番組で卒寿の祝いをした際に撮った、和子さんお気に入りの写真だったという。祭壇には鶴瓶から贈られた、スティックとボール2個が添えられた。

 戒名は「安寿和心信女(あんじゅわしんしんにょ)」に決まった。