気になる静岡県テレビ局のアナウンサーを紹介する連載「静岡アナ 気になリスト」。Daiichi-TV小野沢玲奈アナ(27)の「その2」です。今では「しっかりした報道キャスター」のイメージが定着していますが、情報番組リポーターからの転身当初は、相当な苦悩があったようです。

 -アナウンサー生活はどうですか

 楽しくて仕方ないです。うれしくて泣きそうになることもあります。

 -例えば

 昨年は袋井高の書道ボーイズの取材をしました。本当になよなよしていた子たちでしたが、練習はすごく真剣でした。私はアナウンサーであり、ディレクターでもあり、カメラも自分で回していました。書道パフォーマンス合同発表会の当日も、たくさんのカメラを用意して、5カメぐらいでやりました。そして、袋井高が出場校の中で1位になったんです。彼らもすごく喜んでいましたが、その感動を伝えられると思ったら、私もうれしくなってきました。放送は12月で、その後、日本テレビのCS、米国のテレビでも放送されたんです。自分が立てた企画で、彼らの頑張りが、米国でも見てもらえた…。本当に良かったと思います。

 -報道番組キャスターを命じられ、すぐに対応できましたか

 1年目は、(情報番組)「〇ごと」の天気予報から始まりました。すごく楽しくしていた2年目の夏、報道部長から「おまえはニュースだ」と言われ、号泣しました。バラエティーをやりたいという思いで、アナウンサー試験を受けていたので…。最初は嫌で嫌で、同期(西山=現在フリー)もそうですが、みんなが、華やかな感じで「〇ごと」をやっているのに、私は社会部にも所属して、見えないところで取材をしているのかと。

 -画面に出るだけではないんですね

 毎日、社会部で「警察に聞いてこい」「防犯カメラの映像をもらってこい」と指示されました。原稿も書きますし、企画も立てます。朝は早いし、夜も遅い。もうつらくて、上司に「こんなに仕事がつらいなんて無理です」と訴えたこともあります。当時、「静岡のどんなアナウンサーよりも取材している」という思いもありました。

 -そういう経験を振り返って

 最初、「2年目のニュースキャスター」って(視聴者に)認められなかったと思うんですよ。静岡県出身ではないですし。ただ、朝から晩まで取材をして、夕方、髪を振り乱しながらもテレビに出て、終わったら、「はい、取材」という生活をしていたからこそ、だんだんと認めていただいたのかと…。

 -キャスターは誰もができるわけじゃない

 向いていたかどうかは分かりませんが、先輩の方々から「報道とは何か」を刷り込まれ、たくさんのことを教えてもらいました。大先輩から「おまえはDaiichi-TVの中でも、一番取材している」と言われ、うれしかったこともあります。今は続けてきて良かったと思えます。

 苦労しながら報道キャスターとしての地位を築いた小野沢アナ。「その3」では、約5年に及ぶ静岡での生活ぶり、プライベートに迫っています。【柳田通斉、鈴木正章】(つづく)

 ◆小野沢玲奈(おのざわ・れいな)1988年(昭63)5月22日、東京生まれ。明大農学部生命科学科卒。11年4月に入社。担当番組は「news every.しずおか」。趣味は「夜、星を見ること」。血液型B。