永六輔さんの訃報が流れた11日、タレント、作詞家、作家と多方面で活躍しただけに、芸能界だけでなく多方面で悲しみが広がった。60年以上の友達だという黒柳徹子(82)は「最後の一撃のような、永さんの死です」と悼んだ。

 永六輔さんとは、60年以上のお友達になります。その間、1回もケンカをしたことはありません。

 「午後のおしゃべり」「夢であいましょう」で、初めて会いました。「上を向いて歩こう」「こんにちは赤ちゃん」など、(中村)八大さんと名曲を作った頃、毎日、渥美清さん、坂本九ちゃん、演出の末盛(憲彦)さんとみんなで集まって、面白いことを話しあっては、笑っていました。

 永さんが、八大さんと世界中の日本人学校を訪問しているときは、1行で全てが分かる絵はがきをくださいました。日本の中を旅したのは、自分で見たり聞いたりしたことを、全国を回って、ラジオで伝えたかったからです。テレビより、最後までラジオが好きでした。

 6月27日、足かけ40年以上続いた永さんのラジオ番組が終わりました。私も終わりの方に駆け付けて「永さん!ごくろうさまでした!」と叫びました。私が呼び掛けると、目を開けて笑ったりしていたそうです。

 奥さんの昌子さんが亡くなって14年半、よく1人で頑張りました。旅の名人でも、毎日旅先から何度も昌子さんに電話をしていましたから。1人になって、私と結婚の話も出ましたが、主に、永さんからですが、お互い昌子さんのようにはいかないと分かっていました。

 亡くなる3日前と4日前にお見舞いに行きました。話はできなかったけど、私が「永さん!」というと、必ず、目を開けて私を見て、声を出して笑いました。このごろ、お友達が亡くなって、本当に、最後の一撃のような、永さんの死です。

 でも、生きているものの務めとして、当分、仕事を続けます。永さん、永いこといいお友達でいてくださって、ありがとう。アフリカなんかで「上を向いて歩こう」を聞くと、きっと、空を向いて涙がこぼれないようにすると思う。昌子さんによろしく。